なぜ西洋美術史を学ぶのか

芸術

今の時代、何でも理由を聞かれます。

 

「どうしてうちの会社で働きたいのか」、「どうして将来そのようなことをしたいのか」から「どうして酢豚にパイナップル入っていても大丈夫なのか」まで様々です。

 

私もイタリアに留学していた時に、「なぜイタリアにしたのか?」とよく聞かれました。

 

そのたびに「美術史の研究やイタリア語の勉強で来たんだ」とそれらしいことを言っていました。

 

イタリアに興味をもってくれたこと、わが母国語を勉強してくれていることをうれしく思ってくれたのか、それ以上の詮索はあまりありませんでした。

 

ただ正直なところ、イタリア留学の理由はイタリアに行けるチャンスがたまたまあったことと一番はただただ行きたかったからこれにつきます。

 

しかしこれでは、先生の面目を汚すことになってしますので、「我Maruyama da Gunmaは、現在ジョヴァンニ・ベッリーニの研究をしており…」などと仰々しく書いて現地の先生に志望動機を送った記憶があります。

 

 

さて、これと同じくらいいやそれ以上によく聞かれたことが、「西洋美術史勉強して何になるの?」でした。

 

これは大学1、2年の時によく聞かれました。

 

特に文学部以外の理系の人間にです。

 

当時は、(今もですが)はなはだ無知であったため、「お前たちが学んでいることも勉強して何になるんだ!!!」と反論してもよかったですが、そう言うことはなく理系に対して肩身の狭い思いをしていたので、力なく「どうなんだろね」と言ってはぐらかしていました。

 

大学を卒業した現在も、何に役に立つのかまた学ぶとどのようなメリットがるかもよくわかりません。

 

学ぶことで、給料が上がるわけでもないし日々の業務の改善につながるわけでもありません。

 

ですが、ここ最近どうして美術史を学ぶのか・学ぶとどのようないいことがあるのかについて私なりに考えたことを書いていきたいと思います。

 

 

 

結論から言いますと、西洋美術史を学ぶ意義は「物事の考え方の型を学ぶこと」にあると思います。

 

そこでまずは、西洋美術史は何を目指しているのかを明らかにしないといけません。

 

西洋美術史は、「絵画や彫刻などのものを見ていくことによって、それらが生まれた社会ひいては社会を形成する人間が物事をどう考えてきたのかを理解する学問」です。

 

文学部の学問は、最初の一次資料(文学は小説など、美術史は絵画や彫刻)こそ違えど大体は「社会や人間が何をどう考えてきたのかを探求すること」に行きつくはずです。

 

美術史を学んでいると、いつの時代の芸術家も前の時代や1000年以上前の時代のものを参考にしながら、自分のスタイルと混ぜ、その時代の要請に合わせて創作していることがわかります。

 

どうしても芸術家と言いますと、何もないところからまったく新しいものを作りだしていると思われがちです。

 

例えば古代ギリシャの美しい身体を持つ彫刻は、エジプト美術の伝統を参考にして生まれたものです。

 

そのエジプト美術に自分たちの特徴である「実物のものをよく観察する」という要素と「見たままではなく、数学的に釣り合いがとれているように美しい姿に調整する」という要素を加えています。

 

それによって、かの有名な美しい身体を持つ彫刻が生まれたのです。

 

ニュートンは「巨人の肩に乗る」という比喩を使っていましたが、美術の世界でもこれは成り立ちます。

 

「芸術家が全くのゼロから何かを生み出しているわけではない」ということをより一般化して、別の言い方にすると「それまでの先人の知恵をいくつか拝借し組合せ、新たな考えを生み出す」と言えます。

 

例えば、会社の会議で新たな提案をしないといけないとします。

 

この時に陥りがちなのは、「全く新しいものを考えないといけない」というものです。

 

確かに全く新しいものを考えないといけないことにはかわりありませんが、すでに存在したアイディアを何個か組み合わせて新たな提案を作ることはできるわけです。

 

現在の世界は先人たちの功績のおかげでできています。

 

農業やデジタル技術など、画期的なものが積み重なり現代社会ができています。

 

西洋美術史では美術を通して、そういった先人たちが生きていた社会から要請されたあるいは個人的な課題にいかに取り組んできたのかを学ぶことができます。

 

歴史を学ぶことで先人の解決方法(考え方)を理解し、そのスキームを別のことに応用してみる。

 

そうすることで、現代社会に対して新たな価値観を提供する段階まで行ければ直接的とまではいきませんが、西洋美術史が世の中の役に立っているということができるのではないでしょうか。

 

 

ただここまで書いてきて思いました、「別にこれは西洋美術史でなくとも、国文学でもいいし、理系の学問でも得られることである」ということを。

 

そのため、別の記事でも「なぜ西洋美術史を学ぶか」以前この記事の続編として書いてみました。

続 西洋美術史を学ぶことに有用性はあるのか

 

上記の記事の結論は、西洋美術史を学ぶ意義は「自分について知ること」としています。

 

ただこれも、結局はどの学問でも成り立つことだと思いますし、学問以外でも同じです。

 

西洋美術史でも、アイドルでも、サッカーでもです。

 

だから、私にとってなぜ西洋美術史を学ぶのかについては明確な答えはわかりません。

 

結局は「好き」。

 

これに尽きると思います。

 

世の中の真理は数多くありますが、様々な分野で活躍している方が得た教訓がえてしてに通っているのは、最初の入り口が違うだけであるということになります。

 

どうして異なるドアから入ったかと言いますと、そのドアの向こうに何か面白そうなものがある、そして実際に入ってみたら面白い世界で気づいたらずっと続けていた、そうしていくうちに何かそのやってきた分野で世の中の真理のようなものを獲得し、あたかもその分野でしか学ぶことができないような幻想が生まれているのではないでしょうか。

 

 

私は大学時代、西洋美術史をしっかり学んだとは言い難いです。

 

だから、しっかりと勉強された方の中には何を言っているのだコイツはという方も当然いらっしゃるでしょう。

 

ただ、私の今の結論ですが、

 

なぜ西洋美術史を勉強するのかと言われれば、「西洋美術史が好きだから」となります。

 

もっともらしい理由をつけている輩は、私から見ると逆に眉唾ものかなと思います。

 

「なぜそれをするのか」、「どうしてそれになりたいのか」を突き詰めていくと「好きだから」に到達するのではないのでしょうか。

 

本ブログでは、美術に関してその他の様々書いています。

 

ぜひあわせて読んでみてください。

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それではみなさんCiao Ciao.