日本人であるにもかかわらず、あまり日本のことや日本文化のことについてあまり知りません。
ヨーロッパのことを勉強してきたのでそちらの方が少しばかり詳しいかもしれません。
こういった言い訳を自分の中でしてきて、日本のことについて知らなくてもある程度はいいやと思っている自分もいます。
けれども海外に行くと普段あまり日本人に接触する機会が少ない人々にとっては自分が日本の代表の親善大使みたいなものである。
「日本人は正月何するのか」、「日本にはこういう文化があると聞いたがどういった意味なのか」、「日本の政治についてどう思うか」といったことから、「この漫画読んだことあるか」など様々です。
そういった場面に直面したときにそれらのことについて知らない自分が少しばかり悲しくなり、しっかり調べて勉強しようと思うのですが、その熱もあまり続きません。
その一方でイタリアの美術史を勉強していた自分はよく美術のことについてイタリアの友人によく質問をしていました。
そうすると
マルケの友達は地元を案内してくれた際に「これはカルロ・クリヴェッリの祭壇画だよ」(クリヴェッリの作品は上野の国立西洋美術館にあります!個人的にも好きな画家です!)
シエナの友達はシエナの美術館を案内してくれた際に「これはシエナで最も重要な画家のひとりドゥッチョの祭壇画だよ」
ヴェローナの友人はヴェローナの教会を案内してくれた際に「あのアーチのところに描かれた絵はピサネッロので、美術の教科書に載ってたよ」
とみんなが地元の画家のことがさらっと出てきたことを純粋にすごいなと思いました。
自分が誰か外国の友人を群馬で案内をするとしたらないさけないですが、地元の芸術家の名前は一度も出てこないと思います…
イタリアの学校ですと美術史について中学だったか高校だったかで少し勉強するそうです。ここは推測ですが、地元の芸術家についてはより重点を置いて授業などがなされるのかあるいは親から代々教えられているのではないかと思います。
翻って自分が小・中・高校生の時のことをことを確認振り返ってみると日本史や古典はやりましたが、美術の授業で一番印象に残っているのは中学の時の「シュールレアリスム」の話題でダリやマグリット、エッシャーの作品を見たことくらいです…
よくよく考えると日本の学校教育では自国のことについて勉強することはあまりなかったなと思いました。
海外の方に日本の文化をほめてもらう番組が結構あるのも、日本人がそもそも日本のことをあまりよく知っていないことの裏返しではないかと思います。
ではなぜ日本人は自分たちの文化に疎いのでしょうか?
それは日本の地理的なものに理由があるのではないかと思いました。
日本は古くから中国の影響も受けていましたが、元寇の時などを除き長らく海外勢力に日本の領土を侵されることがほとんどありませんでした。
それにアイヌ民族や琉球の方々も日本にはいますが、大体は同じ民族です。
他の国に侵略されることも少なかった結果あまり「自分は何者か?」と意識する機会も少なかったのと思います。
加えて士農工商のような身分もはっきりしていた時代であれば、農民の子に生まれたらその子供も「なんで自分は武士じゃないのか」考えることなく農民として一生を終えていたのではないでしょうか。
文化が求められるのは、多くの異なった民族を束ねるとき、また他の文化との接触を通して自分たちの価値観が大きく揺さぶられている時だと思います。
ヨーロッパ諸国の場合、多くの国が陸続きの為日々、自分たちとは異なる文化との接触の連続でした。
例えばイタリアは様々な異民族に侵略され、スペイン・フランス・オーストリアなどの国々にかわるがわるいろいろな地域を支配されていました。
またイタリアの国自体が最近までなく様々な小国家に分かれていました。
イタリアの統一がなされたばかりの時それぞれの地域に住んでいた人々は、自分がイタリア人であるという意識は薄く自分は「ヴェネツィア人だ」「フィレンツェ人だ」という意識の方が断然強かったそうです。
こうなると新たに誕生した「イタリア」という国に属する人々として「イタリア人」という意識を人々に植え付ける必要があります。
そこでイタリア政府はいまでいうところの「イタリア文化」を早急に作り上げる必要がありました。
イタリア人だったら共通してみんなが知っているもの(例えば日本人だったらだれでもドラえもんを知ってるように)を作らなければなりませんでした。
言語や食などを含めて広い意味での文化の形成です。
特にイタリアらしいなと思ったのは「料理」を通じたイタリア人の意識の形成です。
ペッレグリーノ・アルトゥージはイタリア統一の間もないころに『料理の科学と美味しく食べる技法』を書いています。彼はイタリアの様々な地方の料理をその地元の人々から直接教わり、現代風にアレンジしたものを「イタリア料理」としてまとめ上げました。その本には今ではイタリア料理の定番となっているジャガイモを使ったニョッキも含まれています。
この本のその人気は相当のもので、ブルジョワ階級に大いに受け現代まで各家庭に必ず持っておくべきというほどになりました。(このあたりの話は池上俊一著『パスタでたどるイタリア史』を参照』)
さらに、彼は料理のレシピをトスカーナやロマーニャで使われていた言葉に、各地の方言を置き換えて執筆したため言語による「イタリア統一」にも一役買ったというおまけつきでした。
また文化の形成を語るうえで個人的に参考になる国がポーランドではないかと思います。
なぜかというとポーランドはロシアやオーストリアなどの大国に翻弄され、その歴史の中で国が2度消滅しているからです。
自分たちはポーランド人だが、今は自分の国がない状況。
自分たちは「何者か」ということを忘れないために「自分たちはどういった民族で他とは何が違うのか」ということを明確に定義して置く必要があったと思います。
こういった状況では人々が広く共通認識としてもっているもの、つまり文学・芸術などの文化が大きな役割を果たします。
事実ポーランド人ははじめ武装蜂起などで独立を目指していましたが、ある時は文化の振興をすることに切り替えたこともありました。
ポーランドで有名な人というとショパンのの名前が真っ先に上がると思います。
ショパンが生まれた当時ポーランドという国は存在していませんでした。
彼はポーランドから離れて暮らしていましたが、ポロネーズ(ポーランド風ダンス)やマズルカといったポーランドの伝統的なものをもとにした作品も多く作っています。
それは自分の国がない悲しみ、自分がポーランド人であることの強い意識、望郷など様々な思いがあると思います。
だからそのショパンのポーランドに対する強い思いがポーランド人々にも多くの共感をあつめたからこそ今でも人々に愛されているのだと思います。
(ショパンの音楽の多くが哀愁をおびているのもそこに由来しているのかもしれません…)
こうしたイタリアやポーランドの歴史と比較してみると日本は他の国からの侵略に何度も侵された経験も少ないですし、たくさんの国家が林立していたわけでもありません。
そう考えるとあえてこれが「日本文化です!」とあえて提示する必要もなかったと思います。
今様々な国の人が日本に来たり、また海外に出ていったりしています。そうして自分で直接自分とは異なるものと接触することで自身が日本人であるということを改めて実感するでしょう。
そしていかに自分が自国のことについて知っていないか痛感すると思います。
まずそういった痛い思いをし、「日本人とはなんなんだ」と思う経験をたくさん重ねていくことが自分自身の文化を知るきっかけとなうのかもしれません。