自宅待機が2か月目に突入したMaruyama da Gunma です。
コロナウイルスのこともあり、町に出たりニュースを見たりするとマスクをかけている方を見ることが多くなりました。
自分も仕事の際は常にマスクをしていました。
マスクをするとなかなか笑顔がわかりずらくなってしまうので、大変でした。(職業柄、笑顔が重要でした…)
その一方で、マスクをすると顔が隠れるので、いつもよりちょっと自分がかっこよく見えたりして思わぬ発見もありました(笑)
町ゆく女性・男性を見て、マスクがあることでその人がかっこよく、かわいく見えたことがあるという経験をお持ちの方も結構いるのではないでしょうか?
ここには古代からある、あるトリックが隠されているのではないかと思います。
それを解明するために今回は古代ギリシャの女性の彫像を見ていきたいと思います。
まずはこちらの作品を見てみてください。
これは大英博物館にある《三女神》です。
今でこそ女性像はヴィーナスなどの裸体像が思い浮かぶかと思いますが、裸体像が作成され始めたころは主に、服を着ていることが一般的でした。
(男性像の方がヌードで表されることのほうが多かったです。)
この作品を見るとわかるように、衣から少し下の肌が透けて見えることで、服の下にしっかりと量塊をもった身体があるように見えます。
また、衣があることで体のラインがはっきりと浮かびあがり女性の柔らかさが強調されるとともに、少し身体を服でヴェールのように見えずらくすることで「服の下の体はどのようになっているのだろうか」という想像力を掻き立てます。
今回のマスクと大きくかかわってくるのは3つ目に挙げた、
身体をヴェールで覆い少し見づらくすることで「服の下の体はどのようになっているのだろうか」ということを鑑賞者に想像させる点です。
こちらの彫刻を見てみてください。
下記の作品では右脚はヴェールに覆われていて、左脚は素肌のままになっています。
右脚と左脚どちらが美しく見えるでしょうか。
何となく、右脚の方が美しく、きれいなような気がしないでしょうか。
ちょっとわかりづらいでしょうか。
自分も最初は例か思いましたが、ちょっとわかりづらいですね(笑)
では最初の大英博物館所蔵《三女神》とこの《瀕死のニオベーの娘》を比較してみてください。
ニオベーの方は上半身と左脚の一部がさらけ出ていて、大英博物館の方では身体全体が衣で覆われています。
比較するとどちらの方が身体が美しいという印象を受けるでしょうか?
おそらくニオベーの方よりも、三女神の方が「きれいそうだな」という印象はずっと強いと思います。
それはなぜか。
ここで、一番重要な要素は「想像」です。
マスクをつけた人もこの三女神の像も身体のすべての部分が見えているのではなく一部が隠されています。
そうすると人は、その隠された部分を想像して、自分の理想で補います。
つまり、見えない部分に対して、実際よりも美しい形を頭の中で補い、相手を美化して見ているのです。
マッチングアプリでも、顔出しをせずにやっておられる方を見かけることは多いかと思います。
男性でも女性でも、顔がわからなくても、ファッションがとてもおしゃれであったりきまっていたりすると顔もイケメンであったりかわいいんじゃないかと想像してしまいませんか?
自分はマッチングアプリを使った際は少なくともそうでした(笑)
それと同じようなことがギリシャの彫刻でも起きています。
隠すことで想像させ理想で補わせることで、よりかっこよく、かわいく見せようとする現代人の姿は女性の身体を美しく見せるにはどうしたらいいか考えて、衣を一枚挟むことにしたの古代ギリシャ人の姿勢となんら変わりはありません。
西洋美術と聞くとなんだか我々の生活と全くかかわりのないものと感じてしまいますが、家の中にあるマスクとつながっていると思うとなんだか感慨深いですよね。
(自分だけでしょうか(笑))
私は美術史の勉強を最近再度始めたばかりなので、まだネタがあまり見つかりませんが、現代とのつながりを書いていくことでもっと西洋美術史に興味をもっていただければと思います。
その結果、海外旅行の際の旅程に「美術館に行く」を加えていただくことができたら、とてもうれしいです。
そして、海外の素晴らしい文化を尊重し、他人のことを思いやれる人が少しでも増え、平和な世の中につながることを祈っています。
ここまで読んでいただいてありがとうございました m(._.)m
それではみなさん A presto!