この4月で、社会人3年目になりました派遣社員のMaruyama da Gunmaです。
私は大学時代留学も含め6年間西洋美術史を勉強していました。
今考えてみると実に自分が勉強をしていなかったかを改めて思います。
このごろは、自宅待機ということもあり、もう一度西洋美術史の勉強をしようと、基礎から理解するために何冊か入門書を読み始めました。
そうするといろいろ発見がありましたが、まあ学生の時は基礎もわからないままよく勉強していたもんだと自分自身にあきれてしまいます。
特に…
・美術史を点でとらえてしまっていた
・「美術」という言葉は最近生まれたことを理解していなかった
この2点が最近気が付いた意識していなかったことです。
「美術史を点でとらえてしまっていた」ことについて
自分も現代の人々の多くが思っているように、なんでピカソのあの絵がそんなに評価されているのか、なぜ青一色で塗りつぶしただけの絵がそんなに評価されるのか全く分かっていませんでした。(今も理解の途中ですが)
自分の中での勝手な「いい芸術」の基準はどれだけ実物に似ていて、見た目が美しいのかということでした。
そうすると自分の中ではギリシャ・ローマの彫刻、ルネサンスの絵画はいいが、中世の美術はよくないと考えていました。
好みの問題でとらえてしまっていました。
ここで自分に欠落していたのは、
美術史をその時代時代を単体(ルネサンスであればルネサンス、ロマネスクであればロマネスク)でとらえてしまい、歴史という一つのつながりの中において各時代の美術をとらえることができていなかったことです。
あらゆることでそうですが、流れというのがあります。
当然それは美術史にも当てはまります。
ロマネスク美術の時代に入っていきなり写実性を否定し、ああいったおどろおどろしい独特の表現になったわけではありません。
ロマネスク美術はキリスト教が生まれ、もともと偶像が否定されている中で、どうしたら具体性をおさえつつ神の世界を表現できるのか模索していた中で生まれたものです。
そんなことを知らずに私は、「中世はなんでわざわざあんなに変な(自分の目から見て)表現をするのか」と見当違いなことを考えてしまっていました。
本などはわかりやすくするために、章ごとに区切るので、各美術が独立して生まれたような印象を受けてしまします。
また、一気に美術のトレンドが変わったような誤解も生まれてしまっている気もします。
現代社会もそうですが、黒から白に変化していくときは、一気に変化をするのではなくグレーを経て変化していくことが多いかと思います。
洋服のトレンドも、シンプルなものが流行っていてもいきなり、全身ヒョウ柄が流行ったりはしません。
徐々にシンプルなものから、少し柄のある(装飾性のある)ものが取り入れられていきます。
美術でもその時代のトレンドとして写実性が強かったり、抽象性が強かったり、その比率が違ったりとそれは時代ごとに異なります。
時代時代の社会状況、その上での美術に対する要請・芸術家の性格・それまでの芸術の蓄積などで変わってきます。
どうか今後作品を見てみるときは、点ではなくて線でとらえてみてください。
中世の美術があったら、その前の初期のキリスト教の美術や古代ギリシャ・ローマの作品も思い出してみてください。
前時代の作品と比較しながら見ると「なぜわざわざこのような表現になったのか」疑問がわいてくると思います。
そういった鑑賞の方法をしていくとだんだん美術史が一つの流れでとらえられるようになり様々な気づきができると思います。
「芸術」という言葉が比較的最近生まれた単語であること
私達は芸術作品を見に行こうとすると、大体は美術館を訪れます。
そうするとそこに設置をするために作成されたものではないかという錯覚をどうしてももってしまいます。
言われればそれは当然のことと思いますが、結構な方がこの部分を忘れてしまっているのではないでしょうか。
また「美術」という言葉も結構な誤解を生む言葉かもしれません。
それはどうしても「美」とつくことで、美しいもの=美術(芸術)と思われがちです。
しかし、中世の写本などを見ますとどうしても美しいとは思えないものもあります。
それを見た時に大体の方は「美しくないじゃないか」と思ってしまうのではないでしょうか。
それは我々が「美術」という言葉のもつイメージから得られたなんとなくの印象(美術とはこうなんだろうなといった考え方)をそのまま昔の作品にも当てはめてしまっているからであると思います。
例えばですが、ラスコーの洞窟の壁画を描いた人の立場に立ってみてください。
まだ農耕が始まっておらず、日々の食料は狩猟や採集で賄っている時代。
食料を手に入れられるか入れられないかで、生死が分かれる時代です。
そういった時に、「よし牛をものすごくきれいに描こう。ここの洞窟の壁がさみしいから動物の絵でも描こうか」とはなりませんよね。
おそらく彼らは、生死を分ける狩猟がうまく行くように、頭の中にあったイメージを絵として視覚化しそこで牛を倒すことで現実にもそれが起こるように祈願する。
なんとも切実な思いがこういった我々がいうところの「美術(芸術)」には含まれています。
彼らが何を願ってそういった作品を作っていたのか考えてみると、その時代に生活していた人々の価値観やものの考え方が見えてきて面白いと思います。
(この時代は何様式と呼ばれていて、どんなスタイルが特徴的ということを覚えるよりもです。)
学生時代にこういうことがわかってればと思いましたが、今わかったのでよしとするしかありません。
それぞれ人生にはタイミングなどもあると思いますので。学生の時にはそれを受け入れるだけの準備ができていなかったということでしょう。
これから、何回かにわたって今勉強して改めて「これはすごいな」などと思ったことや「これは現代ともつながっているな」と思ったことなどを書いていけたらなと思っています。
自分はまだ、多くの方々と同じで美術史が何たるかわかっていないです。
そのため、多くの「西洋美術史って何?」と思っておられる方々と目線はあまり変わりません。
そういった方々のために、少しでも美術史面白いと思ってもらえるように、また海外旅行に行ったときに美術館巡りをより楽しんでもらえるようなことを書いていければと思います。
どうか何卒よろしくお願いします m(._.)m