世界一「美しい」背中 ~レンブラントの《ダヴィデとアブサロムの和解》~

芸術

印象に残っている作品

あなたは今まで見た中で、記憶に残っている作品はありますか?

自分も画集や展覧会、ヨーロッパを旅行した際に数多くの作品を見てきました。

フィレンツェのアカデミア美術館のミケランジェロの作品、パリのサント・シャペルのステンドグラス、アッシジの聖フランチェスコ教会のジョットのフレスコ画などなど…

多くの感動的な作品に出会ってきましたが、自分の中で一番感動した作品は画集で見たレンブラントの作品です。

それは         《ダヴィデとアブサロムの和解》               です。

《ダヴィデとアブサロムの和解》との出会い

学生時代はあまり褒められた学生ではありませんでした。

あまり本は読まなかったですし、研究室に通い詰めるということもほぼありませんでした。

そのため、卒業論文のできは御察しの通り、さんさんたるものでした。

けれども、人間の性として終わったことや失われていくものに目がいきがちになるもの。

卒業論文の口頭試問が終わり、久々にゆっくりできる時間がありました。

その時に、美術史の本を読んでみようと図書館にあったある本を手に取りました。

それはエルンスト・H・ゴンブリッチ著の『美術の物語』です。

この本は他の美術史の本と違って、それぞれの時代の技法の解説や有名作品の解説だけをしているわけでないところがいいところです。

それぞれの時代で、作品を作った者たちが何を目指して創造してきたのかを扱っており美術のより根源的な問題を扱っているところが面白いです。

その中で出会ったのが、先ほどあげたレンブラントの《ダヴィデとアブサロムの和解》(エルミタージュ美術館蔵)(※画像は検索してみてください!)でした。

この作品の物語について詳しくは知りませんでした。

しかしこの作品を見た時に、何が起きているか話がありありと分かるようでした。

それは2人の人物のうち、背中を見せている人物がとても印象的だったからです。

後ろ姿が明らかに泣いていました。

その人物を父親らしき人物がやさしいまなざしで包み込んでいます。

その場面をレンブラントの特徴である明暗がさらに引き立てています。

 

このダヴィデとアブサロムの逸話は旧約聖書から取られています。

イスラエルの王であるダヴィデがその息子のアブサロムの兄弟殺しの罪を許す場面です。

 

この父親の胸でうずくまる息子の背中のなんと雄弁なことでしょうか。

背中からは彼の後悔、赦しを乞う気持ちなど様々な感情が複雑に入り混じっています。

100の言葉を弄して彼の気持ちを語るより説得力があります。

そしてその息子を受け入れる父親の腕も素晴らしいです。

ぎゅっと抱きしめるのではなく、息子を許すかのように柔らかくやさしくその体を包み込んでいます。

さらに、作品の中心部のアブサロムの背中とダヴィデの腕によって形成される円形のシルエットがこの場面の柔らかさ、すべてが丸く収まったことを暗示しているようです。

過去の自分との共通点

この《ダヴィデとアブサロムの和解》を初めて見たのは、就活や卒論などがすべて終わった後でした。

就活や卒論は常に順調にいっていたわけではなく、むしろつまずいている時間の方が長かったです。

息詰まると長時間自分はふさぎ込んでしまい、行動がとれなくなってしまうこともしばしばでした。

そんな時情けないながら、きまって父親に就活などのことで相談をしていました。

それまではあまり自分から相談を持ち掛けることもなかったですし話す機会もそこまでありませんでした。

邪険に扱うまでとは言いませんが、そこまで積極的に交わろうとはしていませんでした。

そんな状況で、就活の悩みを初めて相談したときにいろいろとアドヴァイスをしてくれた時は純粋にうれしかったです。

これが親から子供にたいする愛なのかと思いました。

 

そして、その後このレンブラントの作品に出会った時に先ほどの自分の状況とアブサロムのそれが重なったようで、感動が一気に押し寄せてきました。

まずないですが、ある人に「就活のことを父親に相談していた時の気持ちは?」と尋ねられたら間違いなく、「このレンブラントの作品のアブサロムと同じです!」と答えるでしょう。

 

作品がその時の自分の状況と重なって感動を呼び起こされるという経験を初めてしました。

それもあって今まで出会った作品の中でも一番に印象に残っている作品なのかもしれません。

レンブラントは他にも背中が印象的な作品《放蕩息子の帰還》を描いています。

こちらも聖書から取られた主題ですが、放蕩の限りを尽くした息子を父親が再び迎え入れる話です。

この作品も息子の背中とそれをやさしく包む父親の手が印象的な作品です。

レンブラント自身ももしかすると父親のような大きな存在に包まれたかったのか、あるいは父親にたいして何か後悔する気持ちなど父親に対する強い思いがあったのかもしれません。

でないとここまで、人の心を打つ作品は生まれないのではないかと思います。

傑作とは

自分はキリスト教徒ではないですし、ヨーロッパ人でもありません。

ましてやレンブラントが生きていた当時のこともよく知りません。

しかしながら時代と国を超え、感動を引き起こすことはものすごいことであると思います。

芸術の存在意義や素晴らしい点はいくつもあると思いますが、その一つに「人間の心を揺さぶり希望を与える」というものがあると思います。

東日本大震災の後にも多くの展覧会が日本全体を元気づけるために開かれたのもその証左となるのではないでしょうか。

だから、傑作のひとつの条件として「時代と国を超え人々の心をゆさぶる」であると思います。

 

話は少しそれます。

文化・芸術が国際交流のためによく用いられますが、それらがこの「時代と国を超え人々の心をゆさぶる」力を持つためだと思います。

前から思っていますが、争いごとをやめるために武器を買うのではなく文化によって抑止をするべきではないでしょうか。相手の国にこれだけ素晴らしい作品、あるいはその作者が生まれた国であれば絶対に攻撃しようとはまず思わないです。

みんなが芸術などの素晴らしさをわかっていないのか、あるいはその有効な使い方をわかっていないのかはわかりません。

しかし、自分としては今後武器での争いの抑止ではなく、文化・芸術による抑止を世界が実現できるようになっていくべきだと思います。

今のところ世界では武器によって争いを抑止できていないわけですから。

 

文化の違いが大きな争いを生み出してしまっている現在。

そのネガティブな力が大きくなってしまっている分、それをポジティブな方向にシフトできれば文化による世界平和の構築も夢ではないと思います。

自分も今は派遣社員ですが将来は文化・芸術で様々な国々の人々をつなげることができるようになりたいですね。

最後に

話が少し飛んでしましましたが、このレンブラントの作品のような傑作に出会えることはいつだって素晴らしい経験です。

ただ、その作品がどんなにすばらしくても見る人がその作品を受け入れる心持や人生経験が備わっていることでさらにその出会いが感動的になると思います。

生きていく中でそういった作品が必ずあると思うので、どんなにつらい経験があったとしても素晴らしい作品に出会った時、よく理解できるための準備だと思えば少しばかり気持ちも軽くなるのではないでしょうか?

人生苦しいことばかりですがみなさん Forza!