最近コロナの影響もありますが、美術館にほとんど行っておりません。
学生時代は美術館はもちろんですが、本などを通して毎日何かしらの絵画や彫刻を見ていました。
今では本で絵画を見る機会すらも減ってしまいましたが、昨日久しぶりに本を開き絵画を見ました。
新鮮な感覚でした。
それと同時に大学での日々を思い出しました。
果たして自分は美術史を通してなにかを学ぶことができたのかと。
私は褒められた学生ではありませんでした。
それは単純に勉強しなかったからです。
そのため美術史を通して、これを学ぶことができたということは残念ながらありません。
何かの折に触れて大学時代を振り返ると、美術史から「こんなことを学べた」と一つも言えないことが大きな失望とともに思い出されます。
しかし、その久々に開いた本を眺めながら、美術史に関わっていたことで何かしら学び得たことがあったのではないかとふと思いました。
それは卒論の執筆中です。
一応どの画家の作品を中心にしようか、そしてどのような流れで書いていこうか決まり、ある程度卒論を本格的に書き始めていた時期でした。
その時に、わいてきた疑問が「西洋美術史は何か。そして何を目指している学問なのか」でした。
その問題を引きずり答えが出ずもやもやしたまま、卒論の期限が迫っていきました。
そして提出の前日にふっと、
美術史は「絵画や彫刻などのものを見ていくことによって、それらが生まれた社会ひいては社会を形成する人間が物事をどう考えてきたのかを理解する学問」ではないかと自分なりに思いました。
やっと自分なりの答えを導き出せたことはとてもうれしかったです。
ただ当時は「美術史とは何か」について自分なりの答えを導き出すことができたことだけそれのみに満足していました。
しかし、今当時のことを思い出しながらもう一つ学ぶことができたのではと思ったのは
本質的な問いをたて、それに対して考え続け自分なりの答えを導き出すことの重要性です。
働き始めて3年の地点から過去を振り返った時だからこそわかったことかも知れません。
今仕事をしながら感じることは毎日が「西洋美術史は何か」と同様な問いにあふれていることです。
私自身今もそのような問題を抱えながら仕事をしています。
毎日もやもやしています。
そういった問いをいくつも掛け持ちしながら、毎日過ごしていて生きている、人間皆そうですが、よくやってると思います。
私は考えることが苦手ですぐに考えることを放棄してしまいがちです。
ただ、いつしかこうした答えのないことに対して取り組むことに心地よさを見つけることができるようになりたいものです。
そうなるためにも考え続けなければいけないですね。
それではみなさんCiao Ciao.