続 西洋美術史を学ぶことに有用性はあるのか

ロンドンナショナルギャラリー
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大学を卒業して、3年経ちますがときどき西洋美術史のことが頭をよぎります。

 

それはなぜかよく分かりません。

 

もともとそこまで深い理由があって西洋美術史を選んだわけでもないのですが…

 

突然ですが私が西洋美術史を選んだ理由は大きく2つ。

 

「ヨーロッパに関わることでかつ、色々できそうだなということ」と「大学1年の時のロンドンへ旅行」です。

 

2つ目の理由について少し詳しくお話したいと思います。

 

高校時代に仲の良かった友人とイギリスにサッカーを見に行くことになりました。そのついでにロンドン観光のため、いろいろとリサーチをしていました。

 

当時から博物館で、昔の遺物などを見ることが好きだったので大英博物館は絶対に外せないと思っていました。

 

しかしガイドブックを見ているともう一つとんでもない場所があることを知りました。

 

それはナショナルギャラリーです。

 

恥ずかしながら、全く知りませんでした。

 

ガイドブックには所蔵作品についてもいくつか紹介されており、「絵見るのも楽しいじゃない」と思った記憶があります(ブロンズィーノの《愛の寓意》だったかなと思います)

 

1つ目の理由もなかなかあいまいですが、2つ目の偶然も重なり西洋美術史を選択することにしました。

 

このような確固たる意思がない中で、選んだ西洋美術史でしたが、だいぶ前に書いた記事のように、大学を卒業してからこうしてブログの中で何回か書くことになるとは思ってもみませんでした。

 

前回の記事は「美術史を学ぶことに有用性はあるのか」というタイトルで書きました。

 

西洋美術史を学ぶことに有用性はあるのか

 

自分の身に余ることを書いたなと思いましたが、「美術史、有用性」と検索するとそこそこ上の方に出てきたので案外読んでもらえているかもしれません。

 

最近、その記事を読み直しましたが当時から考え方が変わったので、再度同じテーマで書いてみたいと思った次第です。

 

前回の記事であまりよくなかったことは「美術史は有用性がある」という結論ありきで書いてしまっていたことです。

 

この有用性の意味もあまりはっきりとしていなかったし、そもそも美術史は何かに役立つことを目的にしているのかという大前提を考えていなかったことが問題でした。

 

有用性。これは役立つと置き換えてもいいでしょう。

 

役立つといってもどのような意味で役立つのか。

 

お金を稼げるようになるのか。時間を節約できるようになるのか。それとも異性に対してもてるようになるのか。様々です。

 

ただ私の考える西洋美術史の目的は「絵画や彫刻などのものを見ていくことによって、それらが生まれた社会ひいては社会を形成する人間が物事をどう考えてきたのかを理解する学問」です。

 

だから、社会やそこで生きていた人間がどのようなことを考えていたのかを理解することには役立つとは言えるでしょう。

 

ただ、それがわかったところでどうするのか、西洋美術史を学んだ先には何が待っているのでしょうか。

 

それは「自分について知ることができる」ではないかと思います。

 

西洋美術史には時代も地域もことななる芸術家が数多くいます。

 

人によって興味を持つ対象は異なりまが、興味を持つ対象は何でもいいです。

 

そしてその興味をもった作品ないし芸術家について、知ろうとします。

 

 

基礎的な知識を学び、論文を読み疑問に思った点を突き詰めていきます。

 

同じ芸術家を扱っていたとしても疑問に感じるところは異なります。(私の大好きなティツィアーノは、年代によって作風が変わります。当然初期の作品が好きな方もいれば、私のように晩年の作品の方が好きな方もいるでしょう)

 

人にによって感じ方が違うのです。

 

そしてなぜある作品についてそのようにおもったのか、疑問に感じたのか突き詰めていくことがすなわち「自分を知る」ということにつながるのではないかと思います。

 

つまり、ある画家の思考に魅了されたのか、その時代のものの見方に魅了されたのかなどを考えていくことによって、自分はどのようなものの考え方に面白みを感じるのか、わかってくるのではないかと思います。

 

そうすることで、自分は何がしたいのか、どのように生きていきたいかというものがわかってくるのではと考えています。

 

これは西洋美術史だけではなく、他の文系の学問でも取り扱う対象が異なるだけで、学ぶことで「自分について知ることができる」のがが最も大きな収穫であると思います。

 

西洋美術史を学んでいた者として、自分自身の例を話すことができればいいのですが、いい例がありません。

 

そのため、これはまだまだ仮説の段階です。

 

なぜヴェネツィアの美術に惹かれたのか、その中でもなぜティツィアーノが好きになったのか自分が魅力を感じたその根源を明らかにできていません。

 

そのため、ふとした瞬間に西洋美術史のことがよぎるのかもしれません。

 

それではみなさんCiao Ciao.