連休中も休まず働きました。Maruyama da Gunmaです。
「シュルレアリスム」という言葉を聞いたことはありますか?
この名前を知らなくても、ダリやマグリットといった代表的な画家の名前は聞いたことがある方も多いのではないかと思います。
いきなりですが私のシュルレアリスムとの出会いは中学の美術の教科書です。
美術の教科書にはなぜかシュルレアリスムの画家の紹介ページがありました。
なんか不思議な絵だなと思いつつ、少しその世界観が中2病の想像するファンタジーの世界と似通っていたからなのか、少し魅力を感じました。
そんな私にとってのシュルレアリスムですが、その時にはわからなかった彼らの革新的な点について今回少し書いていきたいと思います。
シュルレアリスムは日本語では「超現実主義」と訳されます。
この訳語はよくできていて、ここにシュルレアリスムの新しい点が示されています。
シュルレアリスムの芸術家は
日常生活にあるなんのへんてつもないものを現実ではありえない組み合わせによって、現実世界を超えた不思議な世界を生み出した点が新しいところです。
そのため、現実を超えたものとして、名前に「超」がつくわけです。
具体的な作例を見てみましょう。
ルネ マグリットの《凌辱》という作品です。(お手数ですが検索をしてください)
青空に対して金髪の女性の上半身が描かれています。
ただ本来顔がある位置に女性の身体があります。普段は服で隠れており見えない体の部分が、顔という常に人目にさらされる位置にきています。
ここでは通常の身体の配置を替えています。さらには顔というその人を特定するために、他の人と見分けるための、とても個性的な部分に、常に見えず隠されたその人の身体、あまり個性的でない部分、つまり身体の中で最も個性的な部分と最も個性的でない部分(その人を見分けるという意味での個性的)がそっくり入れ替わっているというのも注目したいところです。
こちらの絵を見ると心の奥がぞわぞわして、不安な気持ちあるいは何か落ち着かない気持ちになるかと思います。
それはなぜか。
それはいつも見慣れた文脈からあるものが逸脱しているからです。
何か新たなことに挑戦するときや、ルーティーンから少しでも外れると不安に感じたことは皆さんあるかと思います。
シュルレアリスムの画家たちはそういった不安を意図的に生み出し我々の常識を揺さぶってきます。
では彼らはなぜこのような非日常的な組み合わせを生み出し、我々を揺さぶろうとしたのでしょうか?
それは我々の常識や普段は当たり前と思っていることに対し疑問を持たせ、それを崩し、各々に新たな世界を構築することを促すためではなかったのかと思います。
シュルレアリスムの運動が生まれたのは第一次世界大戦直後のこと。
科学技術による永遠の成長という夢が打ち砕かれ、その発展が必ずしも幸福につながらないということ、つまり神なき世界の後に、人間が新たな神として生み出した科学技術も人間を救ってくれませんでした。人間は再び自分のよすがとなる新たなものを作らなければいけなりました。
毒ガスなどの新たな兵器、戦争に伴う精神的な病、飛行機による爆撃。
これまで科学技術が繁栄に寄与していましたが、それが一転我々の生活を脅かし、命を奪うものに変わった時の衝撃はとてつもなかったのではないかと思います。
だからシュルレアリスムの芸術家もこの時代の流れを感じ、芸術を通し既存の価値体系を観者に疑わせ、それを壊した後に新たな秩序を生み出すことを促そうとしていたのではないかと思います。
きしくも現在の我々もその当時と似たような状況に置かれています。
新型コロナウイルスにより、我々の日常は変化しています。友人に会うこともままなりませんし、海外旅行は当分先まで厳しそうです。
今まで我々ができたことは、あたり前のことではなく特殊な状況下でこそ可能であったということです。
今まで放置してきた問題が様々顕在化し、今までのやり方ではどうにもならないことがおそらく今後も多々起こり得るでしょう。
それらに対して現在進行形で対応することも重要ですが、常日頃から既存の価値体系を疑い、自ら再構築することがこれまでもそうでしたし、これからもっと個人・社会のレヴェルで必要となるでしょう。
そういった姿勢を教えてくれるシュルレアリスムの芸術を一度このような角度から見てはいかがでしょうか?
きっとファンタジー的な面ではない新たなシュルレアリスムの姿を見ることができると思います。
それではみなさん Ciao Ciao.