美術館・博物館で忘れてはいけないこと

ルーヴル美術館
芸術

ヨーロッパ旅行で楽しみといったらもちろん美術館・博物館めぐりですよね!

パリに行った際はいろいろ行きたかったのですがありすぎてとてもじゃないけど、短い旅行期間では全部回れません!
(ルーヴルに6時間いましたが、それでもすべて見れませんでした…)

日本でも毎年様々な西洋美術の展覧会が開催されていて、ゴッホの展覧会が開かれていた時は長蛇の列ができていて、西洋美術史を勉強していたものとしてうれしく思いました!

でも作品を見るときに案外忘れてしまっていることが、1つあるのではないかと思います。

それは… 作品が美術館におかれるために造られたものではない ということです。

特に宗教画や古代ギリシャローマの彫刻を思い出してみてください。
宗教画は教会の祭壇に、古代ギリシャの彫刻は神殿や聖域など、ローマの彫刻は個人の邸宅などを飾っていたことでしょう。

それらを「美術館・博物館に飾られたもの」とみなしてしまうと、なんとも味気ない自分たちとは縁遠いもののように感じてしまします。

しかし特に宗教画ですと制作当時は教会に飾られ、それに向かって、家族の幸せ、神の加護、天国に行けますようにという人々が熱心に祈りを捧げていた姿が思い浮かびます。

現代の私たちも、神社やお寺に行って手を合わせて、大学合格、安産、家族の健康などなどいろいろ願いながら拝みます。

私たちも現代という科学が発展した世界で熱心に祈るので、昔はもっとその祈りが切実だったでしょう。

つまるところ、洋の東西、時代を問わず私たちが神様に祈る姿はほとんど変わっていません。
ただ対象が仏像であったり、聖母子の像であったりする違いではないかと思います。

こうしてみると宗教画などの芸術作品がずっと身近に感じられるものになりませんか?
結局人が作りだしたもの、そこに作成者の、依頼主の切実な思いや願いが詰まっているのです。

「芸術」という概念も近代にできたもので、それを時代をさかのぼって古代の作品にも使っているだけです。
当時の人からすると宗教画は「芸術作品」ではなく、神様に少しでも近づいてなんとかこの祈りを聞いてもらいたいという人々の願いを具現化した生活に密着したものです。

高尚なものとして何か日常生活とは離れたものであるように見たがる日本人。
(クラシック音楽好きですと言うとよくわかりませんがすごいねーみたいな反応されますがよくわかりません。)
勝手に何か別世界のものとして、教養の対象としてしまっていませんか。

美術作品はもっと人間臭いものであって、私たちが普段していることや感じていることとあまり変わらない考えにもづいて制作されていることを忘れないでください!

今度美術館・博物館に行くときの参考になれば幸いです!