自分は謙虚ではない。
そんなことに今更ながら気付きました。
自分は自己主張が強いわけではないですし、たくさん話しもしません。
だから、勘違いをしていたのだと思います。
ただ自信がないから卑屈になっていることを謙虚であると思っていました。
一見謙虚な人は多くいます。
しかし自分のようにただ自信がないから謙虚を装っている人が多いように感じます。
逆に本当に謙虚な人は始め、どこか謙虚ではないむしろ不遜な印象を受ける人が多かったです。
自分の思っていることをどんどん言う、ダイレクトな表現で言う。
だから、この人はあまり謙虚じゃないのかなと自分の基準で考えていました。
けれどもしばらくしてみると、そうではないことに気づくことに気づくことが多かったです(私の周りの人の場合)
第一印象で自分にとって少々不遜にも思えた人たちは決まって自分には才能がない、能力がないと言っていました。
けれどもなぜ一見不遜に見えるのか。
それは自信を持って言えるまで情報を人からまたその他の手段で集めているからであると思います。
このような人は一見周りの人にアドヴァイス求めていないように見えますが、むしろアドヴァイスを多く求めるように思います。
素直に相手の話すことに耳を傾ける柔軟さがあるともいえます。
そうやって素直に他人の意見を聞こうと思えるのは、根底にそのことについては自分は何も知らない、自分は才能がないとということをはっきりと自覚しているからだと思います。
私はという他の人にはあまり意見を求めませんでした。
それは最後は自分自身で決めることだから誰かの話を聴こうが聴くまいがあまり変わりがないと思っていたからです。
また自分に対して変にプライドを持っていたからかもしれません。
他の人の意見を聴く=自分の意見がない。
ゆえに自分の信念がないという思考回路になっていました。
だから相手に話を聞くことはあまり良くない。
聞くことで惑わされてしまうくらいなら初めから聞かない方がいいとさえ思っていました。
他人の意見を受け入れると自分というものがすーっと消えてしまいそうな気分になります。
それが嫌なため、アドヴァイスを聞く中で自分の弱さがさらけ出され、傷つきたくないために他人に意見を求めることを今までしてこなかったと思います。
そういう自分の人間としての器の小ささを改めて実感しました。
聞けばすぐに解決したり、より素晴らしいアイディアになるのにもかかわらず、まずは自分で考えるといって自分の考えに固執していました。
それも変なプライドの裏返しであったり、自分が傷つきたくないので防衛本能としてそうしていたのだと思います。
私も自分が無知で才能がないことをいい加減認め、他の人の意見に耳を傾ける謙虚さを持ち続けていきたいものです。
それではCiao Ciao.