最近King Gnu の『白日』をよく聴いているMaruyama da Gunmaです。https://www.youtube.com/watch?v=ony539T074w
この曲の歌詞の中で、
「どうしようもない今を生きていくんだ」
「人生一から始めようがへばりついて離れない地続きの今を歩いていくんだ」
という箇所があります。
人間は過去のその時々の自分の選択の連続で成り立っています。過去を振り返ると「どうしてあの時もっとああしてなかったのか」「どうしてあんなことをしてしまったのか」などその時は最善だと思ってしたことも肯定できないことが数多くあります。ただその過去を変えられないまま、「どうしようもない今を生きていく」しかないですし、今までの世界から別の世界に飛び込んだとしても、前の記憶や起きたことを完全にリセットすることはできません。普段音楽を聴いているとメロディーばかりに関心が入ってしまいますが、こんなに歌詞に共感できた歌は個人的には久しぶりでした。
まさしく自分の人生を振り返ってみると後悔をすることはたくさんあって、違う選択をしていた方が良かったのではということがあります。ただ変えることは決してできないため、まさしく「どうしようもない今を生きている」ところだなとこのごろよく思います。
個人的な話になってしまいますが、私は前職(新卒で入社)を昨年の11月に辞めました。
現在は全く業界も職種も異なる仕事をしています。現在の仕事を始めた当初は、前職を辞めない方が良かったのではと考えたり、今の仕事で大丈夫かなと考えたりしたことも多々ありました。ただ今は辞めたこともよかったと思いますし、前職よりも日々楽しく仕事ができています。時々前職のことやその選択に至った大学時代を思い出すとかたまりかけたかさぶたを触るような、少々心の痛みを伴います。
今回はそんな私の経験を含め、仕事が辛くて辞めようと思っている方に向けて書かせていただきたいと思います
少し長くなりますが、私が前職を辞めた経緯について最初に説明させていただきます。
私の大学時代ですが、よくいる日本の大学生同様大学に入ってからはあまり真面目とは言えない学生でした。課題はこなしますが、それ以上のことはほぼしませんでした。とにかく能動的に何かをすることをしなかったですし、自分から他の人と交わっていくと言うこともほとんどありませんでした。交友関係を広げるわけでもなく、勉強をするわけでもなく、将来について考えるわけでもなくとにかく何もしていませんでした。
ただ幼い頃からヨーロッパで将来働きたいという思いがあり、それだけは忘れていなかったのでイタリアへの留学に関しては自分で初めてしっかりとアクションを起こして実現できたことでした(唯一と言ってもいいかもしれません)。留学前と留学中イタリア語だけはがんばったので、この経験を活かしてヨーロッパでも、特にイタリアで働きたいと思うようになりました。しかしながら、どういった人生を生きたいのか、どのような価値観を大事にしたいのかより根幹の部分ははっきりしていませんでした。
それに学問や普段の生活の中から生じた疑問や違和感のようなものを捉え、それを深掘りし考えるという行為をほぼしていなかったため、まともに物事を考えることもできませんでしたし、その重要性も全く理解していませんでした。(今はそのことに関しては意識的であるのでましといえばましでしょうか)ヨーロッパで働きたいということは決まっていましたが、そもそもどうしてそうなのか、なぜその業界なのか、どうしてその会社なのか全く深掘りができていませんでした。
このような状況で私は就職活動を開始しました。
当然ですが、まず志望理由を書くこともやっとでした。そのため、最初は5社にエントリーをしましたが、6月の面接が始まった時点ですべて全滅。
そこからまた自分の軸となることを考え始めました。当然この短期間で考えた軸ですから脆弱なことこの上なしです。とってつけたように日本と世界の懸け橋になれる仕事ということにしました。特に自分の経験が生かせるイタリアと日本の懸け橋に慣れればと思い、イタリアに支社のある企業にすることにしました。イタリアというところだけで選んでしまって大丈夫なのかという疑問を少々ありましたが、内定が1つも出ていないという焦りもあり手当たり次第に少しピンと来たところにその後応募していきました。今振り返るとそこまで、とってつけたような理由を作って急いで内定をもらう必要もなかったのかなと思います。
ただその当時はとても焦っていて精神的にも参っていたので、最終的に2社から内定をいただきその一つに入社させていただくことにしました。その会社を選んだ理由はイタリアに支社を持っていたからです。小さいころからの夢がこの会社で頑張れば実現できるという思いもあり、日々それをモチベーションに仕事をしていました。
しかしながら目の前の仕事に対して、どうやっても興味が持てませんでした。ミスをしないことが標準で、それ以上に行くことはほぼありません。残業も毎日でしたし、休みの日も仕事の連絡が入ったりすることもありましたし、やり忘れた仕事があるかもしれないと思うと心も休まりませんでした。
加えて人間関係もあまりうまく行きませんでしたし、その会社のカラーにもなかなかなじめませんでした。そのため、精神的肉体的に徐々に厳しくなってきました。そこに追い打ちをかけるように社内のシステムが変わったことで、いろいろトラブルも重なりついに耐え切れなくなりました。ちょうど11月の連休明けでしたが、仕事に行こうにも身体が拒否反応を起こし行けなくなり、しばらくお休みをいただきました。
そこから一週間考える時間をいただき、正式にやめさせていただくことになりました。 この休んでから、正式にやめるまでの1週間、個人的にいろいろ考えたり、会社の人と話したりしました。 個人のレヴェルでは、「もう少し続けてもいいのではないか」、「自分の努力不足ではないのか」、「ここをしのげばイタリアへの道がさらに開けるのではないか」、「ここでへばっていては社会で通用しないのではないのか」という継続したほうがいいのではないかとう考えがありました。
ただその一方で、「この精神状況のまま働いていたら、さらにひどくなって、完全に精神がやられてしまう」と思う自分もいました。そうするとまた復帰するまでの時間がとてもかかってしまうと感じていたからです。 命があっての「ヨーロッパで働くこと」が実現できるわけであります。 ただ、やはり会社の方からは「ここであきらめていいのか」や「お前の心構えが足りなかったからではないか」などちょうど自分が考えていたことに似たことを言われてしまったので、余計に心苦しかったです。 ただ仕事に行けなくなってしまった時点で、結論は出ていたと思います。
つまり「辞める」。
繰り返しになりますが、健康であり、命あっての人生なので。 よくよく考えると、その会社1社だめだったからと言って、他の会社でも通用しないという図式は成立しません。 あくまでその会社の基準で考えた時に、ダメだっただけであって、その物差しが変われば評価されるポイントも変わるからです。
最近の世の中は白黒はっきとつけたがります。また、こちらがよくて、こちらは悪いという極端な論に走りがちです。ツイッターなどの文字数の少ない簡潔なものが多いので、より見られるためにインパクトがあるものを追求した結果でしょうか。
またその時に考えたのは、世界に76億人のひとがいて、その中のたった数百人全員に嫌われようと認められなくとも、また否定されたとしても他にまだまだ自分の味方になってくれる人、自分のことを理解してくれる可能性のある方の方が圧倒的に多いということです。 その会社で働いている時は特にそうでしたが、頭ではその他の世界があるとわかっていても、日々の生活に忙殺されていると、あたかも世界がその会社だけで目の前のことしか見えなくなってしまします。
今、どうしようもないくらい追い詰められている方は、会社を1週間休んでみてください。面と向かって言うことができない場合は、メールなどの文字で今の自分の状況を率直に伝えてみてください。(この時点で相手側の対応があまりよくなかったとしたら、その時点で辞めることを考えてもいいかもしれません)まずはたくさん寝てください。そうすると脳の疲れがとてれ冷静に今の自分の状況を分析できると思います。
心身共に疲れていると冷静な判断力がものすごく鈍ります。私の場合平日は残業続きで、帰るとぐったりだったためほとんど何もできませんでした。その分週末はいろいろしようと詰め込みすぎて逆に疲れてしまっていました。脳に疲れがたまっている状態では深い思考もできないので、いい考えも浮かびません。
日本だと皆勤賞だとか勤続何年だとか、休まずにやり続けることが美徳とされている節が、結構あります。もちろん続けることは重要なことですが、時に立ち止まることも大事です。人間は苦境に立たされた時に多くのことを考えますし、そこで得られた価値観や考え方がその後も大いに生きてくることが多いです。だから立ち止まることは停滞ではありません。
私が思うに、人にはそれぞれ何かしらの他の人にはない能力(他の人と違う観点・見方)があると思います。それはその人と全く同じ人生を送ってきた人は誰一人としていないからです。何かと個性個性と言われて久しい日本ですが、無理にとってつけたように何か他と違ったことをする必要はないと思います。今まで接してきた人、生きてきた環境が違えば当然その結果のアウトプットも他の人と異なるからです。
自分もこれまでは、他人と比較ばかりして、「あの人と比べて自分は」と思い、「ああ!なんてダメな奴だ」という考えに至ることが数多くありました。今も全くないわけではありません。しかしながら、少しずつではありますが自分と全く同じ人生を歩んできた人がいない以上、自分にもこの世の中に提供できるものが何かしらあるのではないかという考えが芽生えてきました(具体的に何かはまだ分かっていませんが…)。そう思うと自分の存在も少し肯定できるようになってきました。
だから、何かすごみのあること、含蓄のあることを言おうをするのではなく素直に自分が思ったことを表現すればそれが自然にその人の個性の表れになると思います。 (それが難しいのですが!)だから取り分けて「何か人と異なることを」と意識する必要は全くないと思います。
最後になりますが、私はあなたの味方です。
今あなたが会社で虐げられていたり、精神的に参っていたとしてもどうか自己否定をしないでください。 ただその場所があなたに合わなかっただけです。あなたの能力を生かせなかった雇用主の責任でしょう。 まずは少しばかりの勇気をもって休んでみてください。社員は宝であるとかお前にしかできないことをやれと言うところは多いですが、会社という性質上誰が抜けてもうまく回るようにしないといけないわけですから自分がちょっと休んだくらいどうってことはないはずです。冷静に考えてみて辞めたとしても、あなた自身の存在の価値は変わりません。あなた自身の良さは何ら傷つくことはありません。
疲れているとここで命を絶てばという考えも横切ってしまいます。もしそう感じ始めているのであれば、それは危険な状態です。繰り返しになりますが休んで、睡眠をとってください。
今音楽を聴きながら、これを書いていますがちょうど離れる前にコンサートで聴いたグラズノフのヴァイオリン協奏曲が流れてきました。第一楽章の冒頭部分の不安な雰囲気がその当時の自分の精神状態と重なっていてとても印象に残っています。これを聴くと東京での生活の苦しみと辞めてからの不安の日々が思い起こされます。https://www.youtube.com/watch?v=FAEyTw5_ZTU
ただ、今の自分にできることはKing Gnuの歌詞にもあったように「どうしようもない今を生きていく」だけです。過去の自分を受け入れられてこそ力強くもう一度今に向かえると思います。
それではみなさんCiao Ciao.