私の父は最近退職をして家にいる時間が長くなりました。そのため、家事をしてくれることも多くなりました。
洗濯、食器洗い、掃除、料理と非常に助かっていますがどうも料理だけはどうしても言い方は悪いですが残念です。
先日も晩御飯にサラダを作ってくれたのですが、どうしたらそうなるのかといった残念なできでした。
サラダにちくわを入れてくれたのですが、ちくわ一本を真ん中で2つに大きく切っただけ、それがいくつか無造作にレタスの上にのせられていました。
父親曰く「大きく切った方が触感を楽しめる」とのことでした。しかしながら見るからに、手抜きな印象はぬぐえませんでした。(写真を上げるのは控えます)
ここでも言い方は悪くなってしましますが、食べる気がうせてしまいそうでした。
私が思うに父親の作る料理には何かが欠けています。
それはおそらく「愛情」です。
もし誰かに喜んで食べてもらおうと思いながら作るのであれば先ほど書いたようなちくわの切り方には決してならないはずです。
どこか自分の料理に自己満足なところがあるのが原因かもしれません。
この「愛情」という言葉は、「どれだけ時間をかけたか」ということに置き換えることができるでしょう。
「栄養バランスを考えて献立を立てる」、「調理に時間をかける」、「食べてもらう人がどうしたら喜んでくれるか考える」などこういった時間を費やしていくことで、料理から「愛情」がにじみ出てくるのではないかと思います。
留学中、イタリア人のルームメイトは私によく料理を振舞ってくれました。
彼は毎朝YouTubeで料理の動画を見るほど研究熱心でした。
そんな彼が料理のたびに言っていたことは
piano piano buono buono(ピアーノ ピアーノ ブオーノ ブオーノ)
でした。
これは日本語に訳すると
だんだんだんだんうまくなる
です。
彼は料理のするときは食材からこだわっていました。ヴェネツィアの市場に一緒にカニを買いに行ったこともありました。
そして調理も午後7時くらいから始めて食べ始めるのは午後9時や10時ということもたびたびありました。
普段は冷食や簡単な料理しかしていないのにも関わらず、一緒に食べるときになるとものすごく気合を入れて作ってくれていました。
(イタリアは美食の国というイメージが勝手に作りげられていたので、家で冷食やパスタにただソースをのせたものといった簡単なものを食べていたのは少々驚きでした。今思うとまあ学生だったら世界どこでも簡単な料理になりますよね)
彼が作ってくれた料理はどれも今まで食べたことないものばかりでした。
もちろんそれらはどれも美味しかったです。
これは彼が日々料理の動画を見たり、いろいろインターネットで情報を集めたりしており料理に対して多くの考える時間を費やしている結果だと思います。
加えて自分の料理を食べて喜んでもらいたいという思いが伝わってきました。
これまで料理に全く関心がなかった父親と私のイタリアの友人を比較することは酷かもしれません。
しかしながら、父親の料理にもどこか「愛情」がそろそろ見ることができてもいいなと思っています。
いたずらに時間をかけることはよくないことですが、やはり時間をかけたあるいは考えた形跡が見えることは重要なことではないかと思います。
デートの時に仮に、彼氏が上下スエットでいかにもコンビニに行くときのような恰好で来たらあなたはどう思うでしょうか?
多くの人が、「え、なんでスウェット?」と思うと同時に悲しい気持ちになると思うはずです。それは彼からの愛情が感じることができないからです。
言い換えるとこのデートのために、私のことを思っていないと感じられてしまうからです。
たとえその彼氏がおしゃれでなくてもいかにもこの時の為にどこかに買いに行ってきてくれたジャケットなどを着ていたらどうでしょうか?
それを完全に着こなせていなかったとしても「私のためにそこまでしてくれたんだ」と女性は思えると思います。(のはずです。いやそう願いたいです!)
それは私のことを考えてくれたこと、そしてそのことに時間を費やしてくれたことが嬉しいからです。
今の時代はなんでも効率化。時間をかけないことがあらゆる場面でいいことと考えられがちです。じっくりと考えることさえ無駄のように考えられています。
スピードを重視するあまり、インターネットで見つけた簡易的なものを自分の意見として持ってきてしまい結果、人間自身が自分の頭で考えるということが少なくなってきているように思えてなりません。
そのため、継続的にこつこつ積み重ねることが、少しかっこ悪いとさえ思われています。しかしながら、何でもそうですが仕事をするにも、旅行に行くにもあらゆる場面で準備、つまり事前に時間をかけて練りに練ることが重要であると思います。
先日友人が軽井沢に来るということで、プランを立てることにしました。
ただ、軽井沢と言えば自分の中でアウトレットと旧軽井沢しか思い浮かばずそこに連れていくだけではどうも味気ない。けれど全くいい考えが思い浮かびませんでした。
しかし考えているうちに、「都会は自然が少ないので、軽井沢の自然に囲まれあえて何もせずゆっくりするのがいいのではないだろうか」という考えが思い浮かびました。
そこで、その時のテーマは「自然に囲まれてリラックスしてもらう」ということにしました。当日は美術館など移動も結構しましたが、アウトレットにはいかず自然の中で友人にゆっくりとしてもらえ非常に満足してもらうことができました。
やはり時間をかけることは重要であると改めて感じた出来事でした。
タイトルのpiano piano buono buonoのbuonoは英語でいうところのgoodと似たような単語です。だからbuonoの部分を「だんだんだんだんうまくなる」から「だんだんだんだんよくなる」と言い換えてもいいかもしれません。
美味しい料理ができるには手間暇がかかるように、何かをものにするにはそれ相応の時間が必要です。変化の速度が速い時代だからこそ、piano piano(ゆっくりゆっくり)で行ってはどうでしょうか。
またルームメイトの料理を食べられる日を夢見ながら、ciao ciao.