まとまりのない文章を書く

人生について

世の中お盆一色でお休みの方も多いかと思いますが、この時期もほぼ仕事の為あまりその実感がないMaruyama da Gunmaです。

今年はコロナウィルスであったり、梅雨が長く続いたり、最近だと短時間の豪雨であったりと人間が環境に負荷をかけすぎたせいで、こういったことが頻繁に起こるようになったのかと思うこのごろです。

ある一つの出来事で日常が一変してしまう現在。
そのためこれまで「役に立っていたもの」が、全く役立たなくなってしまうことだってありうることです。

そんな時代だからこそ今回は無駄(遊びと言ってもいいかもしれません)のすゝめについて書いていきたいと思います。

現在はあらゆる場面で、無駄を排除すること(効率化)が求められています。

それは人に何かを説明する時、また文章を書くときもしかりです。

確かに無駄を排除したほうがいい場面もあることは事実です。
ただそういったことが、書籍や成功している人物の言説などによってあまりにも浸透してしまっているため、プライヴェートの場面までそういった傾向が浸透してきています。

私はこういった無駄をできるだけ排除している時代だからこそ、このブログを通してスリムではない文章(遊びの多い、つまり話が飛び飛びになる文章)を書いていきたいと思っています。

まず根底としてあるのは、自分がまとまった、統一された文章を書くことが苦手で、書いている中で思いついたことを綴っていくことのほうが好きだからです。
どうも初めに、ある一つのことを伝えようと結論を設定し、それに向かっていろいろそぎ落としていくと、新たな考えのひらめきなどが制約されるような気がします。

人間の頭の中は本来、いろいろな考えが縦横無尽に駆け巡っています。
それを無理に、一つのことに集中させることは結構疲れることです。
疲れるということは何かしらストレスがかかっているということです。

人は本来いろんなことを頭の中で同時に考えているのでしょう。

仕事などでも、1から10までこうしろと細かく指示をするよりも、こんな感じでやってほしいと1つ2つ指示を与えて少し遊びの部分(はっきりと決まっていない部分)をあえて作っておくことで、思わぬアイディアがでてくる可能性が高まります。

このブログを書き始めた時に、書いた文章のまとまりのなさに自分でもあきれてしまったものです。
ただ、今はいろいろ話はとびとびになってもいいかなと思っています。
どこか一か所でも読んでくださる方にかすって、もう少し頑張ってみようかなと思えたり、ブレイクスルーのきっかけなどになっていただければそれで万々歳だなと思っています。
(学校の授業で本筋から外れた話が、一番印象に残っているように!案外そちらの方が面白いことが往々にしてあります。)

だから、たとえ自分がその文章で伝えたいことと読んでくださった方が全く異なることを考えたとしても、それがその人の新たな考えを生み出すためのきっかけになったとしたらうれしい限りです。

人は文章を読むときや話を聞くときににどうしてもこの人が言いたい本筋は何だろうと考えてしまします。
確かにそれを理解することは重要なことではありますが、結局本を読むことや話を聞くことはその人に何かしらの興味や関心があってのことなので、たとえ本筋から外れたところで自分の有益になることがあったとしても何ら不思議なことではなですし、むしろそっちのほうが自然ではないかと思います。

アリの世界では、その集団の中に一定数働かないアリがいるそうです。
ただそういったアリたちも今まで働いていた他のアリたちが働けなくなると働くようになるそうです。

自分の文章もアリのコミュニティーの中の働かないアリのように、今現在はあまり重要と思われていなくとも(無駄なことと思われていても)、今の価値観が通用しなくなった時代に何かしらみなさんに少しの希望与えたり、変わるきっかけの手助けとなれば望外の喜びであります。

ここまで読んでくださって、「この文章はまとまりがないな」と思っていただけたら私のミッションは達成されたということになります。
(もしけっこうまとまっていたとしたら、私がここで訴えたいことの説得力が少し落ちてしまうでしょうか… そんな方はぜひ他の記事も読んでみてください。他の記事はまとまりがないはずです…)

今日もここまで読んでくださりありがとうございました。

みなさんも無駄と言われることをおそれず、たまには心のおもむくままに考えたりしてみてはいかがでしょうか。

それではCiao Ciao.