「君は生きる力がないよね」
今働いている派遣先で言われたひとことである。
「勉強ができるという人には、2種類いると思うんだよね。最初はいわゆるお勉強ができる人。テストで勉強ができる人。
もう一つは生きる力がある人。君にはこっちが足りないし、人生においてはこっちのほうがずっと大事だと
思うんだよね。」
自分は現在26歳で社会人2年目(今年の4月で3年目に突入)、毎日この「生きる力」が足りないと痛いほど実感している。
ここまで「生きる力」を何回か使ってきたがこれはなんぞやと
ズバリ 「仮説をたて、それに対して行動を起こし、結果を分析し、再度仮説を立て直し、このサイクルを早く回していける力」
(少し長くなってしまいましたね…)
もっとかみ砕くと 「考え続ける力」 です。
自分の好きな言葉に三木清の「各人はいわばひとつの仮説を証明するために生まれている」という言葉があります。
初めてこの文を読んだときストンと腑に落ちました。
ちょうどこの時期は精神的に不安定だったこともあり、「人生の意味」や「幸福」などいくら考えても答えが出そうにないことを考えてたからです。
先ほどの三木の文を読んでから、結局人間この世に生まれてきた意味は本来的にはないのだということをこれ以降思うようになりました。
だからこそこの世には答えのない問題が、大きさの大小はあれ無数に存在します。
それは人生が本質的になんの意味も持っていないからです。
そのため、人生は各々が意味を持たせていくことで自分で作っていくものなのです。
だから「自分の人生は何のためにあるのか」という問題に対してある程度の仮説をすでに立てることができている人はとても幸運です。
逆に見つからない人は一番大きな仮説の上に、積み上げることができないために日々のことに意味付けを見出すことが
とても難しく。これをしてて何になるという気持ちになってしまいます。(今の自分もその一人です)
今自分は仮説を立てている段階で、まずは自分がやりたいと思うことをやってみようと思っています。
(ブログを書き始めたのもこれがやりたいことの一つだったからです)
ちょっとでもやりたいなと思ったことであれば、先に上で自分が書いた「生きる力」少しづつ獲得でき
自分の人生を自分自身で構築する力を獲得できると思います。
やりたいことが見つからない人は、ちょっとでもやってみたいなということから始めてみてはいかがでしょうか。
それはある程度好きなことであるので、それをやる中でどうしたらもっとうまくなるのか時間を短縮してもっと量をこなせるようになるのか
日々小さなことでも仮説を立てというサイクルを繰り返していけば、「生きる力」を少しづつ得ることができると同時に
自分の人生に対する仮説も見えてくるのではないかと思います。
みなさんの幸福を祈って Buona fortuna!