私が書く理由

アルブレト・デューラー 《自画像》 1500年 アルテピナコテーク蔵 ミュンヘン
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少し前の話になります。

 

あるお客様を接客していた時のことです。

 

とあるリュックで「使っている最中にストラップが切れないでしょうか?」とお客様に尋ねられました。

 

私は確信をもって答えることができないと思ったので、ボスに確認に行きました。

 

そうすると「ストラップが切れるというよりも、ストラップを固定している糸が切れる可能性の方が高いよ」とのことでした。

 

それから、お客様のところに戻り、そのことを説明して接客は終わりました。

 

 

そのお客様が帰った後で、ボスに呼ばれました。

 

「さっき、リュックのストラップのこと聞いたけど、少し考えたらストラップが切れるよりも固定している糸がほどける可能性の方が高いと想像つくよね?考えなさいよ」と一言いただきました。

 

確かにそうだと、自分自身思考が停止していたと思いました。

 

(私達のブランドではバッグなどのメンテナンスも行っていますが、)続けてボスが私のその知識がまだまだ浅いことを見透かしたのか「〇〇の修理もやってるけど、どうやってるか知ってる?」と聞聞いてきました。

 

「わかりません」

 

「あなたはさ、基本的なところは知ってるんだけど一歩踏み込んだ周辺のこと知らないんだよね。いつもあんなにメモ取ってるのに見返してないんじゃ意味ないじゃん」と一刀両断されました(職場の方の認識だと業務時間中私はメモをかなり取っているらしいです)

 

私は自分から周辺の情報を取りに行かないことは悪いところであると認めます。

 

そこは切実に改善しないといけないところです。

 

ただ、「あんなにメモを取ってるのに見返してないんじゃ意味ないじゃん」に対してはなんだかもやっとしました。果たしてそうなのかと。

 

 

 

つい最近ですが、以前読んだ本を再度読み直す機会がありました。

 

何かもやっとしたことがある時に、以前読んだことがある本をふととると求めていた答えが引き寄せられるように見つかることがあると聞いたことがありましたが、今回はまさにそうでした。

 

その本は友人に勧めてもらった、カミノユウキ著『内向型人間だからうまくいく』です。

 

 

この本によれば人間は外向型人間と内向型人間に分けられます。

 

いわゆる「コミュ力が高い」と言われる人たちが、ざっくり言うと外向型と言われており、世の中の多くのことが外向型人間を基準に考えられていると著者は述べています。

 

そこでこの本では、内向型人間にあった生き方をその特徴を分析しつつ提案してくれています。

 

内向型人間の特徴としては、大勢よりも少人数を好む、じっくり考えてから話すなどいくつかありますが、私もこの本を読む限り内向型人間です。

 

内向型人間の特徴とその活かし方の一例について下記のように書かれています。

 内向型人間の武器は思考力です。脳の神経経路が長くて、いろいろなことを考えられるという点では思考力の幅が広く、熟考できるという意味では思考力が深い。縦にも横にも広がりを持っているのが内向型人間の思考です。
ただ、その思考を活かす力も優れているのかと言うと、残念ながらそうとは限りません。短期記憶が得意でないため、せっかくの思考の内容も長期記憶に定着する前に忘れてしまうことが少なくないのです。「あれ?いいこと思いついた気がするんだけど……」というご経験をお持ちの方は多いでしょう。
そういうときは、ノートでもブログやSNSでもいいので、考えたことを文字にして残すようにしてください。こまめにアウトプットをする習慣をつければ、大切なアイデアを残しておくことができます。

思考を文字の形でアウトプットすることには、内向型人間にとって、他にも非常に重要な意味があります。
それは、自分の内面の「見える化」です。内向型人間は、ひとりで考え事をしたりと、外向型人間よりも自分の内面で過ごす時間が長いことが特徴です。つまり、内向型人間にとって、自分の内面は居場所なのです。
自分の内面を知ることができるのは自分だけです。

カミノユウキ著『内向型人間だからうまくいく』祥伝社2020年 p.153-154

 

私にとってメモをとること、書くことは必ずしも見返すためだけのものではなかったとわかりました。

 

頭の中だけで考えていると、考えが堂々巡りしてしまったり、新たな情報をインプットするための脳の容量が不足してしまうため、文字に起こすことでそのような事態に陥らないように自然としていたようです。

 

私がブログを書いている時に感じていた、ある種の解放感は脳の容量に少し余裕ができることから生じていたものあるいはおぼろげだったものがはっきりと形になる快感だったのかもしれません。

 

最近ブログの投稿回数が減っていましたが、忙しいことを理由に、自分との対話をおろそかにしていたようです。だから、常に頭の中は消化不良のもので満たされており新しい情報がほとんど受け入れ困難な状態になっていました。

 

そのため投稿頻度の少ない月ほど、仕事でもあまりうまく行っていなかったように感じます。それはうまく行かずただただ落ち込んでいるだけだったことや頭の中で考えていたことを、消化できていなかったことによるものだったと思います。

 

逆に仕事が充実している時ほど、投稿も定期的に行っていたし納得できる文章が書けていました。それはやはり自分との対話がしっかりとできていたおかげでした。

 

文章を書くことは好きでやっていましたが、それが自分と対話する時間を作ることにつながっていたことは大きな発見でした。

 

時間はかかりますが、自分のことを知るためにもささやかながら文章を書き続けていきたいと思いました。

 

それではみなさんCiao Ciao.