服について考える前に

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先日用事があり、埼玉県に新しくできた深谷のアウトレットに行きました。

 

熊谷まで行き、そこから私鉄に乗ること20分、アウトレットに到着しました。

 

まだできたばかりで、とてもきれいにコンパクトにまとまっているためとても回りやすかったです。

 

 

ただ軽井沢のアウトレットなどと比較するとハイブランドの店舗が少なくやや物足りなさを感じました。

 

ただその中で、BOSSが気になりました。

アイテムではなく、店先にかかっていたポスターが気になりました。BOSSのブランドアンバサダーは大谷翔平。彼の大きなポスターが店先に張られていました。

 

30代くらいの女性でしょうか、それを写真に撮っていました。写真に撮るほどかなと思いつつ再度そのポスターを見ましたが、やはりかっこいい。

 

もちろんスタイリングや写真の構図、顔のもともとのかっこよさもあると思いますが、それを差し引いても素敵に見えました。

 

ちょうどその日は大谷翔平が結婚を発表した日でもありました。ニュースではそのことばかりが報じられていました。

 

その時見たニュースで、彼はキャップにライトグレーのノースリーブのパーカーでした。これは完全なる個人の好みの話ではありますが、このノースリーブのパーカーがどうしても好きではありません。

どうしても見た目が単純に不自然に見えるからです。

 

ただそれでも素敵に見えました。

かっこよい人は何をしてもかっこよいとはよく言われます。当然見た目もあるとは思いますが、それよりも彼を素敵に見せている大きな要因が別にあるのではないかとふと思いました。

 

それは彼の生きざまではないかと。

 

二刀流という前例のないことに挑戦し、メジャーリーグMVPも獲得しました。野球に対して真剣に取り組み、そのために様々なことを犠牲にしてきた人生であったと思います。そのように真摯に生きてきた人がゆえに、プレーの姿はもちろん、それ以外の時も素敵に見えるのではないでしょうか。

 

その人がそれまで何を経験し、どれだけ真剣に考え生きてきたのか。それこそが、服を身にまとったときにその人が素敵に見えるかどうかを左右すると思います。

 

「馬子にも衣装」という言葉があります。

私も日々この言葉を体現しているような存在です。私のように5年前までファッションに興味がなかった人間が、ラグジュアリーブランドの販売員としてそれなりに見えているのも、そのブランドの制服を着せてもらっているせいです。

ある意味で服によって(加えてブランドの知名度によっても)、力をもらっています。身だしなみを整える際、鏡越しの自分が少しばかりよく見えます。もしかすると周りからもそのように映っているかもしれません。

 

服のそのような面は私は否定しません。実際にあると思います。ある服を身にまとうと気分が上がるやる気が出るというのであればどんどん着ていくべきだと思います。なかなかそのような服に出会うこと自体が難しいと思うからです。

 

ただ、人は服を着て活動します。

誰かと話したり、身振り手振りで感情を伝えたりと何かをするたびにその人の人となりが無意識のうちに現れます。

誰しもが経験があるかもしれませんが、実際に会う前はいイメージを持っていたが、実際に会って話してみると「何か違う」ということはよくあることです。

 

身なりも含めこぎれいにしている。ただその人に対して違和感を覚える。

そう感じるのはその人の話し声が小さい、目を合わせて話してくれないなど些細なことかもしれません。その根本的な原因はその人の精神的なもの、自分自身への自信ではないかと思います。

 

私自身そうです。毎日どんなに仕立ての良い服に身を包んでいても、自分の人生を誠実に生きていないがため、自分自身に自信が持てません。そうすると接客の時に声が小さくなる、お客様の目を見て話すことができないことが多々起こります。

 

毎日ファッションのことを考える生活に入り5年経過しました。しかし服について考える前に自分の人生を誠実にしっかりと生きているか振り返る必要があるといまさらながらに気づきました。

 

そのうえで、より自分を魅力的に見せるためにはどのような格好をすればよいのかということを考えるべきなのではないかと思います。

 

他人の人生についてあれこれいう権利は私にはありませんが、どんなに素晴らしいアイテムを身を包んでいたとしても本当に素敵だなと思う人が少ないのは、目に見えない部分に起因しているのかもしれません。