目の前のことに集中する

人生について

暑い日が続いていますが、みなさん体調の方は大丈夫でしょうか?

ご自愛ください。

最近気づいたのですが、現在の仕事は嫌いではないのですが、いやなところがあります。

それは、弱い自分・至らない自分と日々向き合わなければならないことです。

そうしたほうがいいと考えていたにも関わらず実行に移せず機会を逃してしまうこと、周りの目ばかりが気になってしまい目の前のことに集中できないことなどが多々あります。

そういったことがあるたびに「ああ、また自分の悪いところが出てきてしまった」と思います。

あらゆることでそうですが、それまでの生きてきた中で自身が感じたこと、思ってきたことが仕事にも表れてきます。

毎日の仕事で、何か大変そうなことがあるとさけてしまったり、躊躇してしまい絶好の機会を逃してしまうのはそれまでの人生もそうだったからであると言えます。

もちろんこれは今後の為に改善していかなくてはいけないところです。

しかしながら、そこには大きな壁が立ちはだかります。

それは「それまでの自分を受け入れるということ」です。

 

これはつらく苦しいことです。

今までの人生を完全にとまではいきませんが、否定することになるからです。

ひとつひとつ今まで自分が振り返り、その時々でしてきたことを否定していくと結局いままで何も積み重ねることができていなかったという事実に向き合わされます。

そうすると今までなんと無為に過ごしてきたのかが痛感されます。

 

今思いつく限りの後悔をしていることを列挙していきたいと思います。

・サッカーを一生懸命やってこなかった

・大学での勉強をおろそかにした

・中学・高校・大学時代も含めなぜそうなるかという考え方を学ばず、答えだけを覚えていた(ないし探していた)

・ヴァイオリンを一生懸命やらなかった

・本を読むのに何か考えを得るということよりも、読み終えることで満足してしまっていた。

・将来何になりたいか漠然としか考えず、その方法をしっかりと調べなかった。

・なんでもかんでも印象だけで物事を語ってしまい、それを補強する事実などを調べなかった。

・他人の目ばかり気にしすぎていた。

・わからないところをわからないと聞かず、知ったかぶりをしてしまっていた。

・バトミントンを一生懸命やらなかった

•宿題を機械的にやるだけだった

 

大きくまとめると2つです。

・目の前のことに集中してこなかった

・考えることをしてこなかった

 

今回はタイトルにもあるように目の前のことに集中するについて主に取り上げたいと思います。

目の前のことに集中する。

これは非常に重要なことだと最近気が付きました。

 

小学生の時はサッカーとヴァイオリンをしていました。

どちらも自分からやりたいと言って始めたものでした。

しかしながら、サッカーもヴァイオリンも最初はよかったのですがすぐにやる気が無くなってしまいました。

サッカーは小学校の友達が多くいたので遊び感覚でやっていました。しかし、練習は一生懸命せずどうしたらうまくなるのかなどはほとんど考えたことはありませんでした。それは中学生でサッカー部に入ってからも同じです。

試合でも練習でも、どうしたらミスなく終わるのか、「ボールよどうかこちらに来ないでくれ」、「早く試合終われ」などと常に考えていました。

本来であればどうしたらうまくなるのか、どうしたらいいプレーができるようになるのか日々考えていくべきところです。

ですが私の場合そんなことは知りもせず、いつも目の前のサッカーから逃げていました。

それはヴァイオリンでも同じでした。

最初の基礎練習で飽きてしまい。できもしないのに曲に挑戦し、リズムも音程もバラバラ挙句の果てに気持ちよく弾ける箇所だけしかしないので、苦手な場所はそのままレッスンは苦痛そのものでしかありませんでした。

何の為にやっているのか正直わかりませんでした。

 

大学でもそうです。高校以上に勉強し、広く様々な考え方を身につけなければならない時期。

にもかかわらず、高校の時と同様に宿題をこなすだけで専門である美術史のことすらしっかりと勉強しようとしませんでした。

課題をするだけで、自分の興味をもったことや研究について深く考えようとはしませんでしたし、そのために本を読むこともほとんどありませんでした。

そうなるとやらされている感が強くなり作品を見ること自体は嫌いにはなりませんでしたが、美術史が苦痛になり、自分から遠ざけるようになりました。

結局卒論も調べ学習の域を出ないものになりました。

それもそうです。

今までろくに本を読んだり、文章を書かなかった人間がいきなり卒業論文のような大作をかけるわけがありません。

卒業論文を書いている最中にそもそも「美術史とは何か?何を目指しているのか?」などの疑問が多くわいてきました。

しかし、そう思ったのは卒業論文を提出する間際でした。

正直親には申し訳ないが、大学時代をほとんど無駄にしてしまったと思います。

本来はこの時期に学問を通して、ものの考え方を学び、自分自身の意見を形成、そしてそれを論理的に説明する能力を養うはずでした。

これは社会人になっても継続するものですが、まとまった時間がとれる学生時代に大いにやるべきことです。

 

高校時代進学校に通っていました。

勉強しろとは言われましたが、学問の面白さやなぜ学ぶ意義などを教えてくれる人はいませんでした。いい大学にひるために1年と2年ですべての教科を一通り終わらせ、3年はひたすら受験勉強でした。

先生方は勉強をさせていい大学に入ってもらうことがその生徒の幸せにつながると考えていたと思います。(あるいはいい大学にいれれば自分の評価が上がると考えていた人もいるかもしれません。そういった人はいないと信じたいですが)

しかし、なぜ学ぶ必要があるのかや大学の意義などを話してくれる人はいませんでした。

それぞれの科目を通して、それぞれの基礎的なことを学ぶとともに、それぞれの分野にあるものの考え方を教えるべきではなかったかと思います。

そういった考え方を学ぶことで、自分の意見を形成し世の中に問うということが生きることに他ならないと反してくれる先生はいませんでした。

確かに、その当時このような話をされてもぽかんとしてしまった可能性はありましたが、一人くらいはこういったことを言ってくれる先生がいてもよかったのではと思います。

いまの自分からするとこういったことを話してくれなかったことは少々不誠実だと思います。

もしかすると先生が学問の意義をわかっていなかったのかもしれません。

 

学年の集会では、毎回前回のテストや模試の去年や他校との比較。

これでは、今日本で盛んに言われている考える力などつくはずがありません。

テストを変える前に、高校の教育体制をもっと整えるべきであると思います。

話が大きくそれましたが、

こういったその時々やっていたことを真剣に取り組まなかった後悔が、サッカーとヴァイオリンは高校時代、すでに両方とも辞めた後にきて自分でまた始めるようになりました。

また美術史も社会人になってからもっとしっかり勉強しておけばという後悔からまた学び始めることになりました。

目の前のことに集中してやってこなかった結果、その時々を充実させることができず苦しかった思い出しか残っていません。

それは社会人になっても同じです。

お酒を扱う会社に入社しましたが、お酒の勉強はあまりしませんでした。そのかわり大学時代にほとんど勉強をしてこなかった反動と後悔から美術史の本を読んだり、その他の本を読んだりするようになりました。

確かに本を読むこと自体は悪いことではありません。

しかし、仕事のこととあまりにもかけ離れているため、一種の現実逃避の手段になってしまっていました。

ほとんど仕事に直結したり、何か自分の新たな考え方を得るための手段でもなく、ただ大学時代に自分が勉強をしてこなかったことへの救済としてしていました。

その結果はむなしいものです。

日々の仕事は充実しないし、毎日の読書もどこか変えることのできない過去を必死に変えようとして神経をすり減らしているようでした。

結局何も積み上げがなされていない。

全てが中途半端に積み上げられているため、全く応用がききません。

 

今までの人生を振り返った時に何度も同じ間違いをていることに気づきました。

そこで最近は目の前のことに集中するようにしています。

特に今は仕事のことです。

一日のうち通勤時間も含め、仕事に使う時間は10時間くらいです。

残りの14時間のうち、6~7時間は寝ているわけですから。

一番時間が割かれているのは仕事の時間で間違いないでしょう。

 

この時間をどう充実させるかが今は大事です。

今は以前やっていたことを一生懸命していなかった後悔を成仏させるためにするのではなく、今のこの瞬間、目の前にありすべきこと、例えば自分の仕事を助けるためのインプット(読書など)や今までの人生を振り返り社会とどうかかわっていきたいか考える。など

今までの人生でしっかりとやれてこなかったことをそのままにしておくことは、つらいことですがそれよりも今に集中せずに現在と未来を失うことはもっとつらいことです。

これまでの自分をふりかえると、今の自分にはこれまでの蓄積はほとんどありません。

これまであまり人生をしっかりと振り返ってこなかったのは、自分に何も積み上げたものがなくそれはわかっているが、認めたくない心理があったからではないかと思います。

もしそれを認めてしまえば自分という存在自体が危うくなる恐怖も手伝っていました。

しかし、本当の強さは今の素の自分を受け入れることです。

どのような姿にこの先なりたいのか、どういった価値観を大切にしていきたいのか。

現在も目の前のことに集中しようとしつつも自分が社会とどのように関わっていきたいかを考え続けなければなりません。

ただ、将来どうしたいのか固まっていない方が多いのが今の日本社会だと思います。

そういった方は今している仕事をいつもよりがんばって取り組んでみてはいかがでしょうか。
何か大きな契約を取るとかではなく、小さなことでいいと思います。
クリーンな印象を与えるために身だしなみにいつもより気をつけてみる。同僚が仕事を進めやすくするためには自分は今何をすればいいのか。どうしたらお客様はいつもより喜んでくれるだろうか。

どんなに小さなことでもいいので、自分自身が判断してよいと思ったことを実際に行動に移してみることをおすすめします。

ここで重要なことは、自分自身で考えて導き出した最良と思われることを行動に移すことです。
間違っても「これをしないとあの人に怒られる。よく思われないだろう」と思って行動しないようにしてください。

私は最近目の前のことに集中するようになって1か月たちました。
まだ実際に数字というはっきりとした形で変化は表れていませんが、肌感覚ではありますが様々なことが好転してきているように感じます。

まずは日々の充実度が上がりました。
自分の判断に基づいて行動できているので、何か間違いを犯しても素直にその間違いを受け入れることもできますし、次につながる改善策も考えやすいです。

一番大きいところでは、周囲の自分に対する接し方がいい方向で変わっていっていることです。
いろいろ仕事を頼まれるようになりましたし、いままであまり話さなかった方とも仕事中に少しずつ話すようになりました。

かつて寺島実郎という方が書いた仕事に関する本で、「やりたいことがなかったら、まず目の前の仕事に没頭せよ。そうしないと本当にやりたいことは見つからない」と書いていました。
それを読んだ当時は「そんなはずはない。今まで短いながらも20数年感生きてきたので、しっかりと過去を振り返ればやりたいことが見えてくるはずだ」と考えていました。

ただ最初に書いた通り、そこには今まで何もしてこなかった自分に意識的に見ないように、自分を否定したくないという思いがそこに隠れていたがためにそう感じてしまっていました。

ここまでいろいろ書いてきましたが、今回言いたかったことは「まず1か月目の前のことにいつもより少しだけ集中して取り組んでみること」です。
仕事に関する本を毎日30分読むでもいいと思います。
何か役立ちそうだなと思えることをやってみてください。

続けていればきっと小さな変化が起きると思います。
そして、その小さな変化が大きな自信になります。

みなさんが今よりも充実した生活を送れるように願っています。
くれぐれも無理はせずにここに書いたことを試してみてください。

それではみなさんCiao Ciao.