今読んでいる本の中でカールブッセという詩人の詩が紹介されていました。
私が小学生の時(93年生まれ)、おそらく6年生の時の国語の教科書に載っている詩と同じものでした。
「山のあなたの〜」とから始まる詩です。
その時からこの詩は好きでした。特に詩のリズムが好きでした。正直なところその詩の意味は考えたことはありませんでした。
ただ「涙」という言葉が出てくるので、どこかしら悲しい雰囲気は漂っているような気がしました。
それから約20年後この詩の意味するところが自分自身の経験を伴ってやっとわかってきました。
果たして小学生わかるところなのか。それとも教訓として教えようとしているのか。真意はわかりません。
この詩は現代の我々の生き方、考え方に対する鋭い指摘が、物語調にわかりやすく簡潔に描き出されています。
ある人が山の向こう側に幸せがあると聞き、それを探しに行きます。
しかし、その幸せは見つからず帰ってきます。
その探していた幸せは山のさらに向こう側にあるそうだと人に聞いた、というところでこの詩は終わります。
この状態は今の自分とものすごく重なります。
大学を卒業する少し前まで、自分の人生をどうしたいかよく考えたことはあまりありませんでした。
県内でも上位の高校に行き、大学も当時自分が合格できそうな中でレベルが一番高いところに行きました。偶然にもそこに受かってしまったため、幸か不幸か特に何も考えず今後こうできたらいいかなと思いながら生きているだけでした。
それから大学に6年間通い特に勉強をするわけでもなく長期の休みを何か有意義に過ごすわけでもなくただ過ぎていきました。
その後は新卒に入った企業を1年半で辞め、今は2つ目の会社で派遣社員として働いています。
今もどこかに「自分の理想とする仕事があるのではないか」「自分にぴったりの生き方があるのではないか」と考えてしまっています。
まさしく前述のカール・ブッセの詩のように「今」ではないところに「幸い」があると思い込み、それを探している状態です。
意識が「今」ではなく「未来」に向いてしまっています。
鷲田清一は現代人の「未来」へ意識の向いた姿勢を「前のめりの姿勢」と称しています。
現代人の生活は何かと「今」ではなく「未来(将来)」に意識が向けられたものが多いです。
クレジットカードは、その場ですぐ支払われるのではなく月末にまとめて払われます。給料も働いたらそのうちにもらえるのではなく、1か月後にもらえます。
promise, projectなどpro- という接頭辞がつく言葉は現代社会において重要な位置を占めています。このpro- という接頭辞は「前の」「そのさきの」という意味です。
何か今後の利益のために事業(project)をしますし、そのために期限であったり、予算などの取り決め(promise)をします。
我々の周りはこのように前のめりの姿勢で生きるようになっています。
それが労働だけではなく、あらゆる生活の場面に現れ、各々の人生においても将来のために今何をしておくというようにといった思考になっています。
(中学生の時はいい高校に入ることを考え、高校生の時はいい大学に入ることを考え、大学生の時はいい企業に入ることを考え、働いている時は働いていない時間のことを考え…)
視点が未来におかれ、そこから見た時の今になってしまっています。
私は今こうして自分が置かれている状況を、すべてを世の中のせいにしたいのではありません。
ただ、今の世の中がそのようにできているので、多くの人が将来に視点を置いた考え方をしてしまうのも少しやむをえないのかもしれません。
そのため、私は多くの人が最初にこうなりたいと決め、それに向かって生きているものだと思っていました。
しかし、自分がこれまで出会った人や本で読んだことを通して、今やっていることをはじめからやりたかった方はあまり多くないことに気づきました。
その時々で自分自身で選択はしているが、目の前のことに取り組んでいたらここにたどり着いたという方々が意外と多いことに少し驚きました。
多くの人が語っているように「青い鳥」は存在しません。
まずは目の前のことに取り組んで、少しずつ自分が何をしたいかがわかってきます。
自分自身この1年間を通して、学んだ大きなことの1つです。
メーテルリンクの『青い鳥』で主人公のチルチルとミチルが結局自分の家で青い鳥を見つけたように、「今現在」にこそなにか幸いの種が眠っているのかもしれません。
前のめりの現代人にこそ、少し立ち止まって今に思いをはせる必要があるのかもしれません。
それではCiao Ciao.
【参考文献】
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』 講談社 2011年