働き始めてから、自分はまじめでないなと気づきました。
もっと直接的に言うとなまけものであるとわかりました。
それは中学生の時よりも、時間にルーズに、準備をできる限りのところまでしないなどが目立つからです。
中学生の時は試験の始まる3週間前くらいから計画を立て始め、今日はこれだけをすると決めて、すべてこなし万全の状態で試験に臨めていました。
それが高校から、準備不足が当たり前のままテストに臨むようになっていました。
テストだけでなく将来どうするのかという選択もよく考えていませんでした。
そして大学に入りさらにそれが悪化し、課題はやるがそれ以外はほぼ何もしませんでした。
それも出来る限り尽くすのではなく「こんなもんでいいかな」ということが非常に多かったです。
そしてそのまま働き始め今に至っています。
学生の時以上に、自分の行うことが周囲に大きな影響を与えるにもかかわらず、つまり責任も伴うにもかかわらず、どんどん怠惰になっているように感じます。
中学生の時はわからないことがあるとわかるまで理解しようとしました。
ただ今はわからないことがあることはしょうがないという前提を盾に(あるいは答えがないということを言い訳に)、理解しようとする努力もしないようになっています。
働き始めた後、より責任ある行動が求められる中でこのように怠惰になってしまったのか。
私はその理由が、高校までの生活に理由があるのではないかと思います。
特に高校ですが、いい大学に合格するために学校で受験勉強ばかりさせられていたことが原因ではないかと思います。
それにより、高校3年間の「拘束」から解放され、大学ではあまり勉強しなくなり、この大学時代の習慣が働き始めても継続してしまっているのではないかと。
私は今の自分の現状を日本の教育のせいにしたいのではありません(そう聞こえてしまうと思いますが)。また私が怠惰になったと思われる仮説を日本全国の例として客観的な事実として提出することはできませんが、私が通っていた高校ではそうなっても仕方ないのではと思わせるような生活でした。
私の高校は少しでもいい大学に入るために、3年間受験勉強をさせるような学校でした。
学年の集会では、その年の3年生が東大に何人、京大に何人、県内のどこの高校に模試の平均点で勝った負けたなどの話をされていました。
公立の予備校のような感じでした。
もちろん全国の高校生がこのような生活を送っているわけではありませんが、日本では少なくとも一定の数の学生がしているという事実は間違いありません。
私の場合は高校からでしたが、中には中学受験をする子供もいて、小学生の時から塾に通いと考えると日本の全子供がそうではなくとも少なからず、自由な時間が全くない子供がいると思います。
その子供が好きでやっているのであればいいのですが、親から押し付けられている印象が強くあります。
科学的な根拠は分かりませんが、小さい時ほどさまざまなものに触れて、自分の興味の赴くままに遊んだほうがいいものなのではないでしょうか(ここでの遊ぶとは興味をもったことをいろいろやってみること)。
小学生の時からずっと、自由時間なく拘束され数年間受験のような一つのことだけやらされていたら、大学生の時にはじけてしまうことも無理はないのかなと思います。
私は小学生の時からとは言いませんが、高校時代に受験だけ意識していたためとても後悔しています。もっと勉強以外のことに目を向けるべきだったと思っています。
だから私としては、他人から押し付けられたことを無理やり勉強する必要は無いし、学校の勉強でも興味を持ったことだけやっていればいいと思います。
だから高校生までは大いに遊ぶべきだと思います。
そこで何か興味をもつことがあり、勉強したいことが出てきた時に、本腰を入れてやる。
このプロセスの方が、より人間の自然な性質にあっているのではないかと思います。
働き始めて思いましたが、学生の時と同じように、いやそれ以上に日々学習する必要性を、当たり前のことですが今とても強く感じています。
忘れてしまった中学時代の勤勉さを思い出すためにも、私自身毎日小さなことでもいいので継続して続けていきたいと思います。
怠惰であると自覚できたことは一歩前進でしょうか。
今はそのことがわかったので、そうならないようにするだけです。
それではみなさんCiao Ciao.