新幹線のパンフレットの表紙が、鮭の刺身になっています。お腹が空いているせいもあり、とても美味しそうです。今そんなことを考えているMaruyama da Gunmaです。
職業柄街ゆく人が持っているバックであったり、お客様が持っているもの着ているものに最近目がよく行きます。
軽井沢という土地柄もありますが、ブランドものを持っている方、あるいはブランドのロゴが入ったショッピングバックを持った方を多く見ます。
率直な疑問としてどうしてそんなにブランドのものを欲しくなるのだろうかと思います。
ある時GUCCI好きの母親に、
「仮にGUCCIの欲しいバックと全く同じバックがあって、そっちの方が安かったらどっち買う?」
と聞いたことがあります。
母親は迷わず
「GUCCIの方」と言いました。
自分は似たようなものがあったら断然安い方にするなと思いましたが(純粋に自分の経済力がないだけかもしれませんが)、母親含め世の中の多くの方はそうでもないようです。
確かにブランドのものは素材もいいですし、世界的なデザイナーが考えたものなので、いいものであることは間違いないでしょう。
ただ素材や形が同じでも、ブランドのロゴがつくだけでこれだけ価値が変わるのは恐るべきことです。ブランドの商品に何か見えない強力な力が働いているのは間違いないでしょう。
しかしながら、なぜ人はブランドのバックや財布、服をもちたがるのでしょうかまたそれはどういった心理に基づくものなのでしょうか。
今回はそれについて少し思うところがあったので、書いていきたいと思います。
実を言いますとこのことについて書くきっかけになった本があります。
それは『みっともない人体(The Unfashionable Human Body)』(バーナード・ルドルフスキー 著 加藤秀俊・多田道太郎 共訳 1979年 鹿島出版会)です。
この本では世界各国、古今東西のファッションや人体加工(入れ墨など)についての興味深い例をたくさん紹介してくれる本です。
有名なところでは中国の纏足、西洋のコルセットなどです。 この本で、なぜ人は自分の身体をいろいろと纏足のように、足をわざわざ奇怪な形にしたり、コルセットによって思い切り腰を絞って体にメリハリを出すのかということに対して、
彼はその理由を
「人は自分の身体をみっともないと思っているからである」
と述べています。
なぜ服を着るのかという議論になると、「それは羞恥心のため」とか「暑さや寒さなどから体を守るため」などといった意見が多く出て来るかと思います。 確かにそういった面はゼロではありません。 しかしながら、普段はいている靴を見てみると、ほとんどの靴が我々の素足とは形が違うことに気づくかと思います。
人間の足は親指と人差し指の方が高くなっていて、小指に向かうにしたがって低くなっています。 単純に、足を守ることと履きやすさを考えれば、靴も親指の部分が一番高くなっていて、小指に向かうにしたがって低くなっていく形が合理的と言えます。 けれども世の中にある靴は大概が中央部分が最もとんがっていて両サイドに向かうにしたがって低くなっています。 ここには明らかに足の保護ということを超えた、美しさ・見栄えのよさが意識されています。
でなければ、あれだけ痛い思いをして女性がヒールを履いたり、男性が仕事で革靴を履くことはないでしょう。
そのため、ブランド物を身に着ける理由はルドルフスキーが人間が自分の身体をみっともないと思っていること、つまり自分の身体に対して自信を持っていないことと関連しているのではないかと思います。
つまり、
人はブランドの力(歴史や知名度)をかりることで自分の自身のなさを補っている
のではないかということです。
持っている人の心理として、「ここのブランドのものを持っていればいいものを知っていることの証になる」「一目置かれる」「お金持ちに思われる」「持ってるだけでおしゃれに思われる」などがあると思います。
結局なぜそういったように思ってしまうかと言ったら、自信のなさ(それは自分の身体という物理的側面と精神的な心理的側面)が根底にあるからではないでしょうか。
この話と少し関連があるので、私の経験として最後に一つ。
私の職場では8月に入り、働く際の服がスーツからポロシャツに変わりました。 今は慣れたのでどうってこうとありませんが、変わった直後はどういうわけか落ち着きませんでした。
それは、ポロシャツを見慣れていないのもありますが、一番はスーツという服のもつシルエットとエレガントさを失ったからです。 よく鍛えた男性の上半身を評して、「逆三角形の身体」と言われますが、スーツもそれに近い形であります。(古代ギリシャ・ローマの彫刻を思い浮かべていただけるといいかもしれません)
肩にパッドが入って盛り上がり、下に行くにしたがって形がキュッと絞られています。 スーツがこの形に至ったのはこれが多くの人々が美しいと感じる形(あるいは多くの人が着ていたためこれが美しいと思うようになったかもしれませんが)であったからでしょう。
私はとても痩せている人間で、Tシャツを着ると病人のおじいちゃんのようになってしまいます。 そのため、自分の体形をいつわり男性の理想の形と言われる「逆三角形の上半身」をスーツを着ることで獲得していました。 つまりスーツに助けてもらうことで、いつもより少しばかり自信をもって仕事ができていたわけです。
しかし、ポロシャツになることで自分のいわゆる「みっともない身体」が姿を現してしまったがために武装解除されたような気分にっています。
この経験の逆の話としてブランドのものを身に着けるということがあるのではないかと思います。 ブランドのものによって、自分のみっともない部分を隠し、自信を与える。 もちろん全員がそうではないと思いますが、ブランドものを身に着けるということはこういった人間の心理があるのではないでしょうか。
私の場合は、それらを買う能力がほとんどないので安いもので、どこまでブランドのものを身に着けている人に対抗できるか日々思案中であります。
ここまで読んでくださりありがとうございました。 次回は夏休みだったにも関わらず、旅行に行けなかった方々も多いと思いますので過去の旅行でとった写真とともに旅行気分を味わっていただければなと考えています。 (写真を多めにする予定です)
それではみなさんCiao Ciao.