旅の思い出

私の唯一のボローニャらしい体験 ボロネーゼ
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ボローニャといえば美食の町。

 

この町のあるエミリア=ロマーニャ州は、パルミジャーノレッジャーノが有名なパルマやバルサミコ酢のモデナなどおいしいものがたくさんあります。ワイン好きの方にはランブルスコでおなじみの地域かもしれません。

 

その中でもパスタのボロネーゼが一番有名かもしれません。

 

ボロネーゼはイタリア語で書くとbolognese

 

意味はボローニャのと言った意味になります。

 

 

グルメでない私がボローニャに始めて訪れたのは、大学3年生の時。

 

もちろん目的は食べ物ではありません!

 

目的は、ボローニャの近くにあるラヴェンナに行くためでした。

 

その最寄りの都市ということでボローニャに滞在することにしました。(今思うとボローニャを蔑ろにするような滞在の仕方がその後の様々な災難の元凶だったのかもしれません)

 

 

初めてボローニャの地を踏んだのは私にとって初のイタリア旅行の時でした。

 

ローマから入り、フィレンツェに滞在した後のボローニャでした。

 

ローマやフィレンツェンの美術館や華やかで活気のある街並みにテンションが上がりきっていた中でのボローニャ到着でした。

 

ただボローニャの最初の印象は地味。

 

フィレンツェやローマのバロックやルネサンス、古代の華やかさとは異なり、同じような赤茶色のレンガによる街並みが広がる若干お堅い印象を受けました(こう思ってしまったこともボローニャの機嫌を損ねてしまったのかもしれません)

 

降りたって少し歩いた後、私は寂しい気持ちになりました。

 

現地の人が多い中に、いきなり入り込んでしまったため、自分のことを異邦人として意識させられてしまい疎外感を感じてしまったのかもしれません。

 

そして、先の2都市と比較して観光客も少なく、アジア人らしき人も自分以外ほとんどいませんでした。

 

 

心細い中、ようやくB&Bの宿にたどりつきました。

 

インターフォンを鳴らしましたが反応がありません。

 

何回鳴らしても反応がありません。心細さに追い討ちをかけて、もう不安しかありません。

 

今でこそ、Wi-Fiあるところで別の宿予約しようなどと冷静に考えることができますが、当時はそのような考えには至らず、「野宿しかない」という最悪なケースしか思いつきませんでした。

 

とりあえずトイレに行きたくなったので、最悪そこで一晩過ごすしかないと下見を兼ねて駅まで戻りました。

 

駅のトイレは日本とは異なりお金を払って入るところもあるため、そこであればある程度安全かなと思ったからです。

 

ただ行ってみると、駅自体の雰囲気があまり良く、ここで一晩過ごすことは諦め先程の宿にダメ元で戻ってみました。

 

そうすると幸にも宿主が帰って来ていて、何とか中に入ることができました。

 

ドアを開けて中に入ると恰幅のいいおばちゃんが迎えてくれました。

 

英語は話すことができず、イタリア語だけでした。

 

いまでこそイタリア語しかできない方の方がむしろウェルカムですが、その当時は全く話すことができなかったため言葉が通じないということもつらかったです。

 

ただそのおばちゃんが飼っていた犬が人懐っこく、自分のところにも近寄ってきてくれました。

 

唯一の癒しであったのをよく覚えています。

 

とりあえず手続きを済ませて、部屋に行きました。

 

 

他に宿泊客はおらず私一人でした。

 

他の宿泊客の方がいれば気がまぎれるところですが、誰もいなかったので自らどうにかするしかありません。

 

そこで私は、日本の歌をひたすら聞いていました(何故かわかりませんがジャニーズの曲ばかり聞いていました)

 

YouTubeで動画を聞きながらなぜ私がこのような精神状態になってしまったのかがわかりました。

 

ホームシックにかかってしまったのです。

 

何故ホームシックになってしまったかというと、おそらく「よそ者」であることを強烈に意識させられたゆえであるかと思います。

 

繰り返しになりますが、ローマ、フィレンツェは世界でも多くの観光客が集まる場所。

 

私のような旅行客などの「よそ者」があふれている町です。

 

ゆえにそういった自分と同じ属性の人々が私の周りにいたので、特段私も「よそ者」であることを意識することはありませんでした。

 

しかし、ボローニャは現地のイタリア人が圧倒的に多い街でした。

 

「よそ者」であることをイタリア旅行して、初めて感じました。

 

今だったら、その町になじむために町の中をもっと歩いてみようなどと思うところですが、当時の私はそうではありませんでした。

 

だから、海外にせっかく来ているにも関わらずYouTubeで日本の歌を聞きまくるという行動でて、内にこもるという選択肢を選んだわけです。

 

その後、夜になりました。

 

外に出るのも嫌でしたがお腹が空いてしまったので、仕方なく外に食べに行きました。

 

本来はそこで、地元の料理に行くはずですが、寂しさで日本食屋を探していました。

 

明らか中国人の方がやっている日本料理屋でしたが、少しでも日本を感じられるところだったらいいと思いそこにしました。

 

 

焼き飯なるものとたしか春巻きを頼みました。

 

味はさておき、少し日本を感じることができ、わずかばかり元気になり宿に戻りました。

 

ただ宿に入るドアの前でまたしても問題が発生。

 

鍵をどう回してもドアが開かないのです。

 

鍵の角度を色々調整してみて開けようとしましたが、全然開きません。

 

20分くらい試行錯誤しても開かなかったので、ちょうど外にベランダがあってそこから別のベランダに飛び乗れば自分の部屋まで続く部屋に入ることができそうだったので、飛び移ろうかとも考えました。

 

ただ7階くらいの高さだったため、またボローニャで客死するのは嫌だったためその後15分くらいドアと格闘してようやく開け方が分かり中に入ることができました。

 

疲れと孤独で、そのあとはひたすらYouTubeでジャパニーズポップをひたすら聞いていました。

 

 

そして疲れからか気づいたときには寝ていました。

 

 

 

翌朝は、昨日の宿のおばちゃんが朝食を持ってきてくれました。

 

おばちゃんの優しさに触れ思わずパシャリ

 

昨日は疲れもあってかイタリア語しかはなすことのできないおばちゃんに参ってしまっていましたが、朝食を持ってきてくれた時のにこやかな笑顔が見ることができ少しばかり癒されました。

 

ただこの日もホームシックの症状が癒えず、あまり外に出たくありませんでしたが、ラヴェンナのモザイクを目の前にして宿にこもっているわけにはいかないと思い、いざ出陣。

 

ただラヴェンナ行きの電車が、それまで乗ってきたイタリア版新幹線とは異なり、鈍行列車であったためどこかで止まるのではないかと余計な心配をしながらの出発。

 

イタリアの列車ではよくありますが、定刻には発車せずその列車も数分遅れて発車しました(こういった細かいところで不安にさせられるのも嫌ですね)

 

しかし、幸い特にトラブルなくラヴェンナに到着。

 

あいにくの雨でした。

 

天気には恵まれませんでしたが、やはりラヴェンナのモザイクは美しかったです。

 

特にガッラプラチーディアの青と金のモザイクはとても美しくホームシックも少し癒えました。

ラヴェンナの美しいモザイク

 

その帰り、せっかくボローニャまで来たので、パスタは食べておかないとと思いスーパーでパスタを買いました。

 

それがこちらです。

 

ホームシックと元々のビビりな性格から店で食べるという選択肢は皆無でした。

 

貧乏旅行で、グルメでないということもありましたが…

 

 

今ではもったいないことをしたなと思います。

 

そしてパスタを携えボローニャに帰還。

 

ラヴェンナのモザイクで癒えたと思っていた病が、フィレンツェからボローニャに降りたった時のことを思い返し再発しました。

 

そのため、外の景色をほとんど眺めず、宿に直行。

 

鍵は幸にもコツを覚えたので、すぐにクリア。

 

 

部屋で、5ユーロくらいのパックに入った先程のパスタを食べました。

 

美味しくいただくことができました。

 

その日は晩御飯に何を食べていたか覚えていません。おそらく部屋でずっとYouTubeを見ていたのかもしれません。

 

 

そして迎えたボローニャ最終日、朝チェックアウトするために宿のおばちゃんのところに行きました。

 

イタリア語で何か話しかけてくれていた記憶がありますが、何を言っているのかはさっぱりでした。

 

ただ終始笑顔で話してくれていたのでなんだかんだあったが、終わりよければすべてよしでした。

 

 

ただこの後に、まだボローニャ滞在でのビッグイベントが控えていたことはその時の私は知りませんでした。

 

おばちゃんにGrazieとお礼を言った後でした。

 

 

おばちゃんがおもむろに距離を詰めてきました。

 

この時私の心の中では、わかっていました。

 

とうとうあれが来るなと。

 

欧米では、日本と違って握手やハグをするとは聞いていました。特にハグは日本人の男性は慣れていないため、女性にされるとドキッとするようなことも聞いていました。

 

ついに自分にもその瞬間が来ると、おばちゃんが歩み始めた時に思いました。

 

不思議と動きがゆっくりと見えました。

 

そして私は初ハグをその宿のおばちゃんに奪われました。

 

幸い私は、事前に聞いていた情報のように勘違いすることはありませんでした。

 

ただ初めて体験することは、なんでも大事にしたいものです。それが後々まで強烈な印象として残るためです。

 

宿を出た私は、一息つきました。

 

ヨーロッパの習慣を体験できた少しばかりの喜びと完全には喜びきれていない自分がいました。

 

その心中はお察しください。

 

そして、私はボローニャと聞くと思い出すことは「世界最古の大学がある町」でもなく、「美食の町」でもなく、

 

「おばちゃんと初めてハグをした町」として私の記憶に永遠に刻み込まれることになりました。

 

あのおばちゃんは元気であろうか。

 

それではみなさんCiao Ciao.