作り手に

私の実家は二階建てです。

1階と2階を結ぶ階段には、絵や写真が飾ってあります。

1つは家族写真、もう2つは私の妹と弟が小学校の時に描いた絵です。

それらの絵は学校の代表に選ばれ、高崎市内のギャラリーで展示されました。私もおぼろげながらそれらを見に行った覚えがあります。

私の制作したものは階段に飾られていません。

 

私の作品は小学校と中学校の計9年間で選ばれたことがなかったからです。(ただ正確に言うと、中学一年生の時に一回賞を取ったことがありました。発明工夫の夏休みの宿題で、ザ・お盆という幼児用のお盆を作成し佳作を取っていました。しかしそれくらいです)

 

当時から、「私には芸術的な才はない。そのような才は他の2人の兄弟に与えられてしまった」と思っていました。

 

小学校や中学校では図工や美術の授業中に様々なものを作りました。

そうした作品が完成し、家に持ち帰られると私の家では窓際に飾られます。今もいくつか飾られています。

やはり下の2人の作品と比較すると、発想や作品としての完成度の点で私のものと大きな差を感じざるを得ませんでした。

 

とりわけ絵を描くことは幼いながら「これはひどい」と折に触れて思っていました。

 

また私は幼少期に、他にもサッカーやヴァイオリンをしていました。

 

しかしいずれも、結局観たり聴いたりする方が私にはあっているという結論に至りました。

 

その後、大学では美術史を専攻しました。その時は意識をしていませんでしたが、自ら製作するのではなくその歴史を研究することを選んだのも、前述したような小さいころからの記憶が遠因となっているのかもしれません。

 

ただ私もやはり、何かを通して表現するような「作り手」になりたいという思いはどこかにありました。より正確にいうと、自分の考えていることを自由に表現できる手段を求めていました。

 

言葉、スポーツ、音楽などそのような手段は人によって異なり無数に存在していると思います。

こうして今私が文章で書いていることもその手段の1つです。

 

人生を歩む中で、自己をうまく表現する方法を見つけることができると、日々の生活により充実感を感じることができるのではないかと思います。

それを発見するのは、いつかはわかりません。

小さい頃に見つける人もいるかもしれませんし、偶然の出会いからそうなる人もいるかもしれません。

 

私は話すことはあまり得意でないため、こうして文章にする方法を好みます。ただ今まで私が興味を持ってきたこと、つまり芸術に関することで何か表現の手段を得たいという思いは常に心のどこかにありました。

 

絵画や音楽には今まで、長い時間触れてきてこれは自分の表現の手段にすることができないということがわかりました。ただ私には、芸術の中でもまだ踏み入れたことのない分野がありました。それはファッションです。

 

小さい頃からヨーロッパの文化や歴史的建造物などが好きで、そこから西洋美術史やクラシック音楽にはまりましたが、ファッションについてはまったくの無関心でした。

 

中学・高校とずっと学生服だった為なのかもしれません。

 

しかしながら、5年前からファッションに関する仕事に従事し始めました。

それはヨーロッパの文化が好きであれば、ファッションの仕事がいいのではという友人の勧めからでした。

当時は仕事をやめたばかりで、早く何かしないとという焦りもややありとりあえずの気持ちで、ファッション業界で働くことに決めました、

 

正直なところ、最初はあまり興味がありませんでした。

けれども、お客様にお店のアイテムを販売しなければならないため、自店のもののことも知らないといけないですし、販売する以上自分もそれなりの格好をしなければ説得力がありません。

 

お店に服を見に行き自分で買うというということをこの歳になって初めてしました。

 

その中で、自分がしたいスタイリングのイメージができた時や思いがけない組み合わせを発見した時は、とても大きな喜びを感じました。それはある意味で、芸術家が作品を完成させたときのような気持ちと一緒ではないかと思います。

 

そしてその完成したスタイリングを身につけ人と会います。

ありがたいことに、その自分の姿を見てほめてくれる人がいました。服装はその人の考え方の表明の一つの形式であり、ある意味で言語のようだと私は思っています。(陳腐な言い方ですが)そのため、服装をほめてもらえるということは私にとって、自分の考えを肯定してもらえたような気がしました。

 

今までの人生の中で、芸術にかかわる分野でほめられたことはなかったため私にとっては非常にうれしい出来事でした。

 

私は服を作ることはできないかもしれないが、ひょっとするとスタイリングを考えるという点では作り手になることができるかもしれないと少しずつ思い始めました。

 

もう30歳になった人間が、このような10代や20代のような甘い考えを持つことはナンセンスかもしれません。ただの勘違いから舞い上がっているだけかもしれません。

こう書いてくるとより一層青い考えのように感じます。

 

しかし私はすでに決断しました。この可能性をもう少し追求してみようと。

 

 

最近マルクス・アウレリウスの『自省録』を読んでいます。

これは彼が日記のように日々書き溜めたものです。

 

この本では何度も同じようなことが表現を変え繰り返し書かれています。その1つが、人生の短さについてです。人生は短いから、周囲の人が何と言おうと自分の感じる方向に向かってゆけというような内容が、表現を変えて繰り返されています。

 

その内容を読むごとに、人生は永遠に続くものではないこと、日々死に向かっているのだと再認識します。これまでの人生を浪費していた私にとってはもうあまり時間が残されていないと思いました。

 

また昨年、私の父親がに10万人に1人が罹るといわれている大脳の病気が見つかりました。この病気は治療法がなく、認知機能のや運動機能の低下などが進んでいくそうです。現在病院に入院しておりますが、ベッドからの転倒を防ぐために「抑制」と言われる身体拘束を受けています。

 

これは、病院側と家族の同意のもとで行われていることですが、ベッドの上で自分の父親が紐で縛り付けられているのを見ることは精神的に堪えます。

 

ただそれと同時に感じたのは、心身ともに充実し活動的でいられる期間は生きている間でも限られているということです。親の病気の姿を前にして、このように自分のことを考えているとは不謹慎かもしれません。しかし、そう感じました。

 

そのため私は3月いっぱいで現在の仕事を辞め、ファッションの学校に通うことにしました。

 

現在の職場の上司にそれを先日伝えました。その時にようやく仕事の形が見えてきたのにもったいないとその人は話してくれました。自分自身もその思いはあったため、少し決意が揺らぎそうになりました。しかし、先述のように自分に限られた時間はもう少ないこと、ファッションを通して自分が表現したものがどのように受け入れられるかということを知るために、4月からこの道に進むことにしました。

 

今は様々な可能性を思い描けているため、非常にポジティブなマインドです。しかしうまくいかないことや当初のイメージと異なるということは日常茶飯事です。

そのような出来事に会ったときに、そのまま貫き通していくことができるのか、残酷な現実も受け入れる覚悟はできているのか。

もう後戻りはできないため、このまま突き進みます。