私という人間は、どうも現実を直視できず、理想の世界に生きているようです。
先日見たフランス映画『ロシアン・ドールズ』(スパニッシュアパートメントの続編)を見た時にそう思いました。
この映画では、多くの女性と付き合うが、まったく長続きしない30歳目前の主人公の男性が描かれています。
その映画の中で特に印象に残っているシーンがあります。
ソ連時代を連想させる整然と整備された何もないまっすぐなサンクトペテルブルクの道路。そこを白のタンクトップに膝上10センチくらいで裾にフリルがついた花柄のミニスカートをはいたモデルのようなすらっとした女性が歩いています。主人公からは後ろ姿しか見えず、彼は後ろからついていきます。
その姿が、恋愛(あるいは女性)に対して理想ばかりを追いかけ全くうまく行かない、映画を通して描かれている主人公を象徴しています。
映画のレビューを見ると1作目の方がよかったという意見がかなり多いようでしたが、私はこの2作目もいいなというよりもちょうど自分の状況と重なるため響くものがありました。
ただ私の場合恋愛で理想を追い求めているのではなく、自分という存在の理想です。
現在27歳、とりわけ若いわけでもないが特別歳をとっているわけではない微妙な年齢です。(この話をするとよく27歳はまだまだ若いこれからだよと言われますが)
学生の頃よりも何でもなること・することができる可能性は低くなっていると思いますが、まだ27歳という微妙な年齢もあり、まだまだいくつかの選択肢を選ぶことができます。(そう思いこんでいるのだけかもしれませんが)
そのため、いくつかの自分の理想の姿を描くことができてしまっている状態です。
ちょうどその映画の主人公のように、女性の後ろ姿だけを見て、自分の理想の姿を想像しそれだけで満足しているのと同じです。つまり客観的に今の自分がどういう状況であるのか直視できていないということです。
今の不完全な自分を想像で補い、理想を作り上げその世界の中だけで生きようとしています。
繰り返しになりますが、先述の映画『ロシアンドールズ』主題は(おそらく)「理想と現実」です。
映画を通して、理想に固執せず現実となんとか折り合いをつけようとする主人公の姿が描かれています。
しかし主人公は元カノに理想の世界だけで生きようとしていることを「パラサイト」と言われてしまいます。
主人公がそういわれた時、なぜか他人ごとではなく自分に言われたようで、
「そうか自分も理想にとらわれたパラサイトなのか」と思いました。
そろそろ自分の状態も客観的に、現実的に見ないといけないのかもしれません。(この映画の登場人物の年齢の設定も30歳でした)
ただ現実を見ることも必要ですが、それだけで生きていけるでしょうか。
人生にはどうしても自分という存在から逃れたいと思う瞬間は誰でもあるはずですし、大体の人がこうでありたいやこうしたいという希望を一つや二つ持っているはずです。
そういった時には理想の世界というのは大きな力を発揮するのかもしれません。理想を見ることは、ともすると現実を見ることができていないという悪い意味にとらえられてしまうことが多いように思います。
ただ、私はこの理想を見ることはポジティブな影響もあると思います。人間時には逃げ出したいこともあります。一時的なシェルターとして活力を回復するためには必要なはずです。少しでも理想を垣間見ることで、気分も上がるはずです。
私が現在仕事として関わっているファッションもその側面が少なからずあります。
ファッションの役割は、華やかに見せたり、ユニフォームのような連帯感を高めたり、社会的な役割の属性を明示(警察官)したりなど様々です。
なぜ我々がファッションを楽しむかと言うと、それぞれが変身願望があるがゆえだと思います。
なぜ変身したいかというとそこにも様々な理由があります。
ただ一番の理由は今の自分が不完全でもっとよく見られたい、なりたいということです。
つまりファッションを楽しむというのは、ある理想を思い描き、服などのアイテムによって不完全な自分を補い、その理想を実現しようとする側面が少なからずあるということです。
このプロセスが今の自分(あるいは考え方)とものすごく類似しています。
ファッションは理想を見させてくれるものである。
人生においてこうなりたいというものを疑似的に何度も繰り返すことのできるものであると思います。
人の人生は限られていますから、一人の人間の人生の中で、ジャニーズになる、医者になる、弁護士になる、大学教授になる、俳優になるをすべて実現することはかなり厳しいです。
しかしながら、ファッションの世界であればジャニーズのように着飾ることもできるし、好きな俳優のように着こなして同じようにふるまうこともできます。
そして、その理想に近づくことで生きる希望や活力を得ることができるでしょう。
だから、今の私の生き方とファッションのある側面が大いに重なるところがあるゆえんです。
私はいくつもの理想を思い描き、それが現実的にではどうするか考えないでその中でぐるぐると思考を巡らせるだけです。ファッションは不完全な人間を補強し理想の姿をいくつも与えてくれ、それを実現させてくれます。
ただファッションは、一度補強する場所を確認するために今現在の自分(現実)に目を向けないといけません。そのため、不完全な自分と向き合うと若干の苦痛も伴います。
ちょうどそれは人生において自分の将来を考え、思い描いた理想と現実との差を目の当たりにして落ち込むのと一緒です。
現実の自分に向き合い、理想に近づくために一度ネガティブになることは日々の生活の中で私自身が何度も繰り返していることです。
そのような今の自分の生き方とファッションのあり方が重なり、心地いいとまではいきませんが、今現在の自分の生き方を象徴しているようでしっくりきているのだと思います。
ここまで書いてくると私自身が現実を見ることができないことへの言い訳に聞こえてくるかもしれません。ただ小説にしろ、サッカー観戦にしろその中で人が夢、理想、憧れを思い描くのはその力が絶大であるから、それなしには生きることは困難だからだと思います。
自分がなぜファッションに興味を持ったか考えてみましたが、他の物についても考えてみる必要があります。映画、サッカー、などなど。自分という人間をもっとよく知るために、好きになっている物事を分析することは良いことかもしれません。
それでは皆さん Ciao Ciao.