コーヒーエフェクト

イタリア人にはエスプレッソを! 芸術家にはアブサンを!
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イタリアでは各家庭にモカというものがあります。

 

これはエスプレッソを作るための、やかんのようなものです。

こちらがモカです。

やかんの下が外れるようになっていて、そこにコーヒーの粉と水を入れて火にかけるとエスプレッソができます。

 

どこの家庭でも大体これがありました。

 

 

私もイタリアにいる間に少しだけお世話になりました。

 

朝起きると、ルームメイトの誰かしらがモカでエスプレッソを作っています。

 

そして、みんな優しいので「飲む?」とすすめてくれます。

 

当時の私は何とかイタリアにかぶれようとしていたので、「もちろん」と言ってもらっていました。

 

しかし、私はコーヒーが苦手です。

 

それは飲んだ後に必ずお腹の調子が悪くなるからです。

 

 

ただ、どうしてもエスプレッソを飲みたい。そしてイタリア人のようになりたい。

 

それはせっかく淹れてくれたのにもったいないというのもありますが、一番はイタリアに来たんだからイタリアっぽいことをしたいというミーハーな気持ちでした。

 

 

 

イタリアの街を歩いているとバールという日本のカフェみたいな場所が数多くあります(ちなみにイタリア語でcaffè(カフェ)はコーヒーのことなのでご注意を)

 

そこの前を通るといい感じのおじさま方が小さなカップを片手にぐびっとやっています。

 

赤褐色大理石のカウンターに肘を置き、脚を組み談笑をしながら、飲む姿。

 

とても絵になります。まさに自分がヨーロッパはこうだなというイメージ通りでした。

 

 

イタリア人になるためには飲まなければかっこがつかない、しかしお腹も心配である。

 

心の中で葛藤していました。

 

しかし、街中で飲んでいる姿を見るとそこはかとなくかっこいい。

 

ああやって気取りたいものだと憧れは募っていくばかりでした。

 

 

イタリア滞在中に本当に一度だけイタリアのバールでエスプレッソを飲む幸運にあずかりました。

 

しかし、その時は飲んだ後のお腹が痛くなることを心配するあまりとても気取っている暇などありませんでした。

 

 

そして日本に帰国し、すでに6年が経ちました。

 

だんだんと留学時代の記憶が薄れてきています。

 

 

そのことに少しさびしさを感じながらも、最近留学時代のこのエスプレッソの経験をを思い起こさせるような場面に最近よく出会います。

 

職場ではコーヒー好きの方々がいて、「セブンでコーヒー買ってきてよ」とよく話しています。

 

今のコンビニのコーヒーは何でも、コーヒー豆からひいていい機械で入れてるようなので、かなりクオリティーが高いにもかかわらずお手頃らしいです(私は確かめようがないですが…)

 

 

イタリアとは違い、店先で小さい陶器のカップでとはいきませんが、プラスチックの小さなコップに入ってコーヒーが出てきます。

 

そして最近やたらと町中でそのコーヒーカップ片手に歩いている人々を見かけます(私の勝手な妄想なのかもしれませんが)

 

コーヒーの入ったプラスティックのカップ。

 

それを持っているだけで、なんだか仕事が5倍くらいできる人に見えます。

 

イタリアのバールのエスプレッソのカップまではいかないまでも、そのカップを持っていることによるイメージの効果は莫大なものです。

 

 

そこには私が、コーヒーを飲みたいという憧れやにおいの高貴さはありますが、やはりイタリアで見たあのエスプレッソのカップを持つ人の姿が重なるのかもしれません。

 

私はコーヒーを飲めないので、セブンの100円くらいのコーヒーさえ買うことのできない敗北感を感じていました。100円でとてつもない効果を生み出す、あのカップをもつことができればどんなに印象がよくなることか!と。

 

 

そういった何のプレイかわかりませんが、先日私もついにそのカップを持つことができました。

 

 

買い物に行った帰り、晩御飯を食べようとハンバーガー屋に入りました。

 

とても寒い日であったので、冷たい飲み物はお腹を痛める危険性があり、ホットの飲み物にしようとしました。しかし、例によってコーヒーはあるがその他の選択肢が紅茶のみであったため、やむなく紅茶にしました。

 

しばらく待った後で、注文したものを受け取りに行くと、やつがいました。

 

紅茶が例のあのカップの中に入っていました。

 

それがこちらです↓

 

私がコーヒーを飲むことができないという観念がプラスティックのカップの中身をすべてコーヒーに変えていました。

 

コーヒーではなくて、紅茶でもいいしなんなら他の飲み物を入れてあのカップを持ち歩けばいいと気づきました。

 

ある一つの考えにとらわれるとそれを壊すことはとても大変な作業だと改めて感じました。

 

 

さて、そう気づけたのもよかったですが、せっかくこのカップで提供されたのだから、このプレイをもっと楽しもうと思い、紅茶をほんの少しだけ残し外に出ました。

 

別に仕事の日ではありませんでしたが、海外のスナップ写真のように撮られたら結構様になるんじゃないかなと一人で気分が上がっていました。

 

 

しかしこのカップをもって気づいたことは、片手がふさがるのでまあ面倒。

 

しかしファッションと同じである程度の不自由はある特定のイメージを伝えるためには犠牲にしないといけないということなのでしょうか

 

そのプレイも5分ほどでやめました。

 

カップを持つ人も苦労してんだなそれがわかっただけでも十分です。

 

 

ただ、もう1つ最後に言いたいことがあります。これはそのカップを使う方への注意勧告です。

 

カップを両手でそれぞれもっていると「仕事ができる」雰囲気はなくなり、むしろマイナスに働きます。

 

そうすると、どうも「お使い感」が出てしまいます。

 

『プラダを着た悪魔』で、アン・ハサウェイもスターバックスのコーヒーを買いに行かされていましたがあのような感じになります。

 

そこだけご注意ください。

 

それではみなさんCiao Ciao.