待つこと

ウィリアム・ホルマン・ハント 《良心の目覚め》 テート・ブリテン蔵ロンドン 1853年
未分類

最近ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を読みました。

 

この話は仏陀の修業時代から悟りを開くまでの話です。

 

彼が様々な経験を通し「正しい」と思っていた考えを捨て、新たな考えを創っていく過程がちょうど今の自分とも重なり印象深かったです。

 

 

今回は最初に、その『シッダールタ』の一節から引用したいと思います。

 

シッダールタは様々な修行の末、カマーラという遊女が住む森にたどり着きます。

 

彼は、彼女から「愛の技」を教えてもらおうと彼女のもとを訪れます。

 

シッダールタは乞食のような格好をした修行僧であったため、カマーラにもっといい服、靴を履いて、お金を持って来いと一蹴されてしまいます。

 

ではその3つを最短で得るにはどうすればいいのかとシッダールタは尋ねます。

 

「いとしいカマーラよ、では、助言を与えてください。あの三つのものを一番早く見つけるには、どこへ行ったらよいか」

「友よ、それはみなが知りたがっていることです。あなたが習い覚えたことをなさるべきです。それでお金と着物とくつをもらいなさい。貧乏人がお金を得る道はほかにはありません。いったい何ができますの?」

「私は考えることができます。待つことができます。断食することができます」

ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二訳 『シッダールタ』昭和46年 新潮社 p.74

あなたは何ができるのかというカマーラの問いに対して、シッダールタは「私は考えることができます。待つことができます。断食することができます」と返答しています。

 

断食は正直なところどうして、シッダールタがあげたのか私はわかりません。(生理的な欲求を自制できることを能力の一つとしていると考えているからなのか)

 

「考えることができる」。考えることができなければ、自分は何をしたいかもわかりません。そしてこれは私が今一番できるようになりたいことということもあり納得できました。

 

「待つこと」はどうしてシッダールタが考えることの次に挙げたのかは理解できませんでした。

 

 

しかし、この「待つこと」、これができることも能力の一つではとにわかに思い始めました。

 

 

私はこれまで英語の勉強をすると決めたことが4回ほどありました。

 

3日ほどはやる気に満ちており続けることができていました。

 

しかし、1週間2週間ばかり経過しますと、なかなか成果は表れてこないことも重なり気が付くとやらなくなる。

 

私の場合、こういったことが非常に多いです。

 

それはやる気の問題ももちろんありますが、待てないということも大いに影響があります。

 

すぐに結果が出ないからです。

 

 

ただ世の中簡単に結果が出るものはたかが知れています。

 

すぐに出るに越したことはありませんが、そういった物事はほぼないでしょう。

 

だからこそ、結果が出るまで待つことができるというのは能力の一つではないかと思います。

 

 

しかし、待つことも大切ですがそれ以前にシッダールタも言っていたように「考えること」も同時に必要です。

 

時間をかけてじっくりやろうと思って取り組んでいると時として単なるルーティーンとなるおそれがあります。

 

どうしてそれをやっているのか、これをするときは何に注意しないといけないのか考えないと惰性でやってしまいます。

 

 

私の場合、ヴァイオリンの練習でよくそうなります。特に、疲れて頭がよく働いていない時に陥ります。

 

今日は姿勢と呼吸に注意をしながら練習しようとしても(ひどい時は、そういった意識も働かずただ練習している状態になります)、気づくとただやっているだけになります。

 

 

これは普段の生活スタイルともものすごくリンクしています。

 

仕事でも、出勤し業務をし、気がついたら一日が終わっている。

 

何も考えずに過ごしていると、何も変化なくその日が終わります。

 

今日はどうしようかと考えることが圧倒的に足りていないため、まずはそれができるようになるようにしないといけません。

 

そして、同時に辛抱強く自分自身を待つ。

 

書くことは簡単ですが、実際に現実にうつしかえたときに大体うまくしかないですし、まず現実にどう移し替えるのか具体的なプランを打ち出せないことが私の問題点です。

 

 

現在もコロナ禍が続いています。

 

何かしら目標を立てても、このような先の読めない世の中では、その目標までの距離が日々目まぐるしく変化しています。

 

そのようないつ好機が来るかわからないからこそ「待つこと」が考えること同時に今私にとってとても必要なことだと思いました。

 

だからいつ来るかわからない「その時」をあがきながら私は待ちます。

 

それではみなさんCiao Ciao.

 

〈参考文献〉

ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二訳 『シッダールタ』昭和46年 新潮社