先日職場での出来事です。
その日は、業務が終わった後に自社の新しいコレクションについての勉強会がありました(私はアパレルの販売員をしています)
いつもは社員の方々だけが受講していたトレーニングでしたが、今回は派遣社員である自分も一部のトレーニングに参加させていただけることになりました。
全くの初めてのことであったため、楽しみと不安が入り混じった状態でした。
事前に渡された資料を読みいざ勉強会が始まりました。
4人グループで、みんなで話しながら進めるという私の苦手なスタイルでした。
いつものように、会話になかなか加われず他の方が「Maruyama da Gunmaはどう思う?」と聞かれて初めて話すありさまでした。
私はその場で、考えて意見を言うことがとても苦手です。
その場でどう思うかと聞かれると頭が停止してしまい、パッと言葉が出てこないので黙ってしまいます。
その勉強会の中でそういった場面が何回か続きました。
その様子を見ていて、ボスやサブマネージャーから
「別に正解があるわけじゃないから、感じたところを言ってみればいいんだよ」
と言われました。
そう言っていただいたものの、それでも言葉がなかなか出てきません。
そうした中で、サブマネージャーが、
「おそらくMaruyama da Gunmaは答えを探しているんじゃないか?正解を言わないといけないと考えているのではないか?」と言われました。
まさかそんなことはないと思いました。
しかし、今振り返るとそうとも言い切れないのではとも思います。
自分自身に自信がないあまり、自分が考えたことを表明することができず、何か教科書的な回答を無意識のうちに探していたからです。
つまり、どこかに書いていたことだけが正しいことで、それをつなげ合わせることで、答えを完成させようとしていました。
学んだことを基に、それを加工して他の物事に生かすことが全くできていませんでした。
一つのことに対して、何か一つの答えを探そうとする。
これはいわゆる学校のテストにおける答えへの至り方であると思いました。
そこに個人的な考え方などはほぼ入り込む余地はなく、解き方も大体決まっています。
この「絶対的な回答」を探すことに今もとらわれてしまっていました。
だから何も知り得ないことに対峙した時、頭が停止しその前で呆然となります。
だから、仕事においても(特にお客様の接客中に)同じことが毎日起きていたのであるとわかりました。
それは、ある服についてお客様に勧めるときです。
私はその服が作られたシーズンのコンセプトなどを覚えていないアイテムの接客が始まると何も話せず、間を埋めるために、当たり障りのない、デザイナーに関する知識をお客様に言っているだけでした。
今回のこの経験は、小学校からの自分の思考パターンが一向に変わっていない現状がわかり、ショックでした。
世の中のことは正解がないと知っていながら、まだその本当の意味するところを身をもって理解していないことが分かった非常にいい機会であったと思います。
そういう貴重な環境、また気づいてくれる同僚の方がいることは非常にありがたいなと思いました。
よい師はいるので、あとは自分がどうするかです。
それではみなさん Ciao Ciao.