小学生の頃の大昔の話になります。
私は小学校4年生からヴァイオリン教室にしばらく通っていました。
当時、クラシック音楽をよく聞いていたため親にお願いをして始めました。
ただ、はじめたのはいいのですがすぐに困ったことが起きました。
基礎練習に飽きる、できるところしかやらない、そもそも練習自体をやらないなどなど。
そのため、月3回あるヴァイオリンのレッスンはすぐに苦痛な時間となりました。
指摘された箇所は数知れずですが、内容はほとんど覚えていません。
そんなこんなでヴァイオリン教室に通い始めて2年くらいたったころでしょうか。
その日もいつものように、練習もままならずレッスンへ行きました。
その日も数多くのダメ出しをもらい、KO寸前でした。
その中の指摘で、
「ヴァイオリンはヨーロッパの楽器だからもっと力強く弾かないとだめだよ」
と言われました。
これが今でもよく覚えているレッスン中の出来事です。
(そこは滑らかに、ゆったりとなど抽象的な指摘が多く、子供ながらにそうするにはどのような弓の持ち方、力の伝え方をするか教えてくれんかい!と思った記憶があります。ヴァイオリンのレッスンはそんなもんなんですかね)
(おそらく)子供の頃は純粋であったので、交響楽団のプロのヴァイオリン奏者が言うのであればそうなんだろうと思いました。
その日以来練習をするときは、右手の弓にかなりの圧をかけ、弦に思いっきり押し付けるようにしてヴァイオリンを力づくで弾きました。
その後も、ヴァイオリンの動画を見るときもかなり力強くヴァイオリンを握ったり、弓で弾いているように「みえた」ので、やはりヴァイオリンは(力強いという意味での)男性的な楽器だなと思っていました。
しかし、最近ヴァイオリンはそうではないのではと思いました。
先々月から再びヴァイオリンの練習を始めました。
その日も練習を終え、いつものようにヴァイオリンの手入れをしていました。
ふとヴァイオリンを縦にして目の前に置いたときに何かの形に似ているなと思いました。
そう人間の後ろ姿、それも女性の後ろ姿だと思いました。
ヴァイオリンは下が丸みを帯び、中央がくびれ、また丸みを帯び、最後にネックの部分がすらっと伸びています。
ヴァイオリンの下の部分が臀部、くぼんだ部分が腰のくびれ、上が肩そしてすっと首筋が伸びている姿と重なりました。
ヨーロッパの車に対してエロティックと形容する人がいますが、ヴァイオリンの形は私にとってとてもエロティックであります。
我ながらすごい発見だと思いましたが、すでに先を越されていました。
Maruyama da Gunmaよりも先にマン・レイという美術史の教科書に載ってくるような人物が同じことを考えていました。
下の画像は彼の《アングルのヴァイオリン》です。
この写真を見るとまさしく、ヴァイオリン。
偉大な写真家と同じ感覚を持っているとこれはこれでよかったのかなと。
さて、ヴァイオリンは形も女性の身体のようですが、弾き方も繊細でなければいけません。
そういった意味で非常に女性的な楽器であると思います。
以前の私は先ほども書いたように思いっきり力を入れてヴァイオリンを弾くものだと思っていました。
しかし先日オンラインレッスンを受けた際に、その弾き方が全くもって見当違いであることがわかりました。
ヴァイオリンを弾くとき、弓を持つ右手首が硬くうまく使えておらず、弓に力が入り「ガッ」いうあまり心地の良くない音がしていました。
そこで先生から「弓は力を入れて持つものではなく、手は添えるだけであとは弓の重さに少し腕の重さをかけてあげれば十分音がなること」をアドヴァイスしてもらいました。
そして手の力を抜いて弾いてみると音の響きが大きく変わりました。
自分がヴァイオリンを制御しようとするのではなく、ヴァイオリンが心地よく響いてもらうために、できるだけ余計な負荷をかけないことが大事で、繊細に弾いてこそいい音がでるのだと思いました。
男性の中にももちろん繊細な方はいますが、このようなヴァイオリンの繊細な側面に触れると、非常に女性的な楽器であると思いました。
今回はここでおしまいです。
たまには何も結論なく、思ったことを書くこともいいかなと今回はお試しで書いてみました。
ちなみにですが、フランスでは「アングルのヴァイオリン」ということわざがあるようです。(アングルはフランスの著名な画家です)
それの意味するところは「下手な横好き」だそうです…
まさにアングルのヴァイオリンを地で行く私にとって、シャレにならない話です。
アングルは素晴らしい絵画を描くという別の才能がありましたが、私には何があるやら。
と思いつつも、始めるときはみんなそんなものだろうと気を取り直して、こつこつ積み重ねようと思う今日です。
それではみなさんCiao Ciao.