8月に入りやっと太陽を拝むことができいきなり暑くなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。Maruyama da Gunmaです。
明るい格好をしたいと考えていたのでので、やっと黒系の暗い格好以外も楽しめる季節になったかなと思います。
こんなことはおそらく6か月前には気にしなかったと思います。
アパレルの業界で6か月前から働き始めましたが、まさか自分もここまで見方が変わるとは思いませんでした。(服に対する興味やファッションの業界に対して)
今回はいままで服にほとんど興味をもたなかった男(私自身)がここ6か月に体験したり、本で読んだりして、ファッションや服を着ることに関して感じたこと考えたことを書いていきたいと思います。
いろいろ話は飛びますがどうかお付き合いください。
去年の11月まで都内のお酒関係の会社で働いていました。
諸事情でその会社を辞めた後、実家に帰りアパレル関係の仕事を始めました。
特にこれといった理由はありませんでした。友人に「アパレルの業界いいんじゃない?」と助言をいただき、「1年働いてお金を貯めたら少しまたヨーロッパに行こう」と考えていたので、「1年だけだったらまあやってみてもいいかな」という少し軽い気持ちで初めました。
この業界で働く以前、大学時代も東京での会社員時代も服を自分で買いに行くということをしたことがありませんでした。(靴やスーツなどどうしても必要となってしまうものはしぶしぶ緊張しながらおっかなびっくり買いに行っていました)
大学時代は実家から季節の変わり目に、小包が届きそれを着るだけでした。別にそこまで変な格好でなければいいし、シャツ着てれば大丈夫だろうと特に服のことは気にかけていませんでした。
しかしながら、こういったアパレルの業界で働く以上、服のことを知らなければいけませんし、自分がお客様に「こうしたらかっこよくなりますよ」「かわいくなりますよ」とおすすめしなければなりません。
これはコペルニクス的転回の一つの例になってもいいと思うくらい劇的なことです。
自分で選択したにも関わらず、困ったなというのが最初に思っていたことでした。
それまでは服やファッションの業界には必ずしもいい印象を持ってはいませんでした。
値段は結構高いし、よく分からない流行はあるし、ファッションショーの服はよくわからないし、別におしゃれじゃなくても生きていけるし、結局人間中身が重要だし、などむしろ悪い印象の方が強かったと思います。
ただ、もう決断してこの業界に飛び込んでしまった以上やるしかありません。とりあえず本を読んだりインターネットでいろいろ情報を集めたりしてまずは服のことこの業界のことを知るように努めました(これは現在も続いています)。
そうすると不思議なことに自分の中でじょじょにある変化が起こりました。
「服買いに行きたいな」
これは今まで自分が生きてきた中で、一度も芽生えたことのなかった感情でした。(その直後にGUに初めて自分の意志で行きました)
そんなこんなで、少しずつ服に興味をもち始めた時に職場でのトレーニングの一環として、TPOが設定されそれに合わせて自分のコーディネートを披露するというものがありました。
「これは困った。どうすりゃいいんだ…」
と絶望。
こればかりは洋服初心者の自分の手に負えなかったので、母親に相談。結果インスタグラムで元イングランド代表のデイビット・ベッカムの写真を発見。それをまるパクりして当日に臨むことにしました。
緊張しながら臨みましたが、結果が意外や意外。けっこう好意的な反応を得ることができました。これで変な自信がついたのか、定期的に無印やユニクロに行って服を見るようにそして買うようになりました。
このような実際に服を買ってみたり、試着してみたりと実践的なことを主にやっていますが、これと並行してファッション関連の本についても最近読み始めました。
今まで、ファッションとか流行といったものはその業界の人たちが生み出しその世界だけで繰り広げられている一部の人のものだと考えていましたが、そういった本を読んだり実際に考えてみるとどうやらそうでもなさそうだと思うようになってきました。また世の中と密接にかかわっており、時に世の中に対する抵抗を示す社会運動の手段となりえるほどのものすごい力を持つこともだんだんとわかってきました。
世の中と服が密接にかかわっている例としてひとつ。
多くの人は仕事の際にスーツを着ます。
今ではよく就職活動の時に耳にする個性を殺すものだとあまりよくない印象をもたれるものとなっています。
しかし、その起源をさかのぼると意外なことがわかります。
スーツの起源となった服はもともとフランス革命後にできました。
それ以前まで服で着飾ることは貴族の特権で、それをすることによって自分が他とは違う特別な地位を表す役割を果たしていました。
それがフランス革命により既存のヒエラルキーが崩れ、理念の上では人々はみな平等ということになりました。
その平等の精神は普段着る服にも反映されました。
そのスーツの原型となった服は、それを着ることで身分・生まれ・家柄など一度リセットして、その人の個性を着ているものによって判断されないようにという願いを込めて生み出されました。
いわば現代社会の根幹をなす、平等の精神が反映されたありがたい服なわけです。
(自分はフランス革命の成果であるスーツをまとっていると思うとなんだか感慨深いですよね
まずこの事実を知った時点で、服はうわべだけのものだということが払しょくされ、もっと深いもの、美術のように深遠なるものではないだろうかと思うようになりました。
ただ自分の中で一番大きな発見は、「考えることを放棄せず、考え続ける重要性」について知ることができたことです。
かつての自分も含めそうでしたが、ファッションに興味がないという人でも毎日服を着ます。
何かしらを選んで、それを着て外に出ます。
ただそこで、大きな差となるのは選ぶ時に意識的であるか無意識的(考えないという意味での)であるかということです。
我々は生活の中で仮説を立て選択し、それを実行して毎日の仕事、人生を送っています。
実行したことがうまくいっったり、うまくいかなかったりいろいろありますが、その結果を受けて修正しまた実行します。
その繰り返しです。
ファッションもそうです。
相手にどうみられるのか、どう見られたいのか、そのためにどういったシルエット、素材、デザイン、服の種類、丈の長さなどを頭の中で想像し、実際に試してみます。
そして鏡の前に立った時に、自分がどう見えているか確認します。(鏡の前で自分でチェックした姿が、相手にもそのまま見えていいるのかどうかという厄介な問題もありますが)
イメージと違ったらまた、サイズを変えたり色を変えたりして自分の見せたい・見てもらいたい姿に近づいていきます。
この過程は日々の仕事や人生とまさしく重なるものではないでしょうか。
会社のプロジェクトや人生でも達成したいことがおおかた決まっています。
それに対して計画を練り、実行し、結果を精査、再度プランを立て直し実行。
ご覧の通り全く同じ流れであることがわかるかと思います。
加えて、毎日の仕事が一つ一つの小さなことの積み重ねが大きな違いを生み出すように、ファッションでも細部への配慮が大きな変化となって全体の印象に関わってきます。
かつて自分は白Tシャツや白シャツはすべて同じもの、あまり変わりのないものだと思っていました。
しかし、実際には素材、襟の太さ・形、着丈の長さ、シルエットなど無数の要素が綿密に組み合わされ一つの服が出来上がっています。
素材が麻になればカジュアルな印象になりますし、綿の繊維のとても細いつやのあるものであればドレスな印象になります。
シャツの腕まくりもどのくらいのところでまくり、どういった形にするのかなど突き詰めていけば際限はありません。
そういった一つ一つのことを積み上げていき、最後に鏡の前に立って納得いく姿になれたときは気持ちいいものです。
それは仕事でうまく行ったときと同じくらいの喜びがあります。
服の組み合わせにしろ、細部にこだわるにしろそこには常に「考える」という行為が付随します。
人は生まれてから死ぬまで考え続けなければいけないことを思い出せば、その土台の上にあるファッションも当然その要素を併せ持つことも当然と言えば当然です。
人は大概の場合わからないことがあったり、面倒なことがあると深く考えようとせず、Googleに逃げたりあるいはまったく考えないことが多いです。
学校のテストは答えがありますし、インターネットで調べればそれらしい答えも出てきます。
それはそういったものを突き詰めることは疲れますし、エネルギーをものすごく消費することで、ある意味でストレスだからです。
いま日本の教育では、「考える力」の低下が問題視されています。
そのため、センター試験に筆記を加えることで学校教育も「考える力」を意識した授業にさせようとしているのではないかと思います。
しかし、そんなことよりも何かしらその人の興味があることを肯定してあげて、突き詰めさせてあげることができる環境の整備が重要ではないかなと思います。
少しでも興味のあることであれば勝手にどんどん調べていきますし、うまく行かない時もこうしたらいいのではないのか、ここにもっとこだわればよくなるのではないのかと勝手に考える力がついていくのではないかと思うからです。
私は2か月前からヴァイオリンの練習を中学以来再開しました。
一か月ほど曲を練習していましたが、なかなかいい音がでません。
その曲を細分化して一小節ずつずっとやってもなかなかうまく行きません。
これは曲を弾く以前にもっと根本的なところに問題があると思い、今はヴァイオリンの構え方からという最初も最初のところから見直すことにしました。
まだそうし始めて、4日くらいですが少しずつ音の出方が良くなってきている気がします。
他にも弓の持ち方や弓の角度など改善するところは多々ありますが、それがすべてうまく行ったときの音を想像すると非常に楽しみです。
誰でも、ものすごくとはいかなくても興味があることが一つや二つはあると思います。
それをいつも面倒だから、時間がないからと言って止めてしまうのではなくすこし深入りしてみてはどうでしょうか。
ただそうは言われても何も趣味がないという人は私のようにファッションに少し気を配ってみてはいかがでしょうか?
やはりファッションも時間をかけたなりにいい効果が人生に影響してきます。
私の場合仕事がそういった関係なので、仕事にいい影響があるのはもちろんですが、久しぶりに会った人に「おしゃれになったね」と言われたりして気分はいいですし、
何より、毎日の服の組み合わせを考えたりすることで、考えることがだんだんと習慣化されてきたいうことが一番の成果ではないかと思います。
いくら世の中の技術が発達してきたとしても、その根底を支えるのは人の考えです。
日々仕事をするにしても、何をするにしても「考えること」を抜きにしては何もできません。
ファッションであれば、毎日することですしすぐに周りの反応という結果も得ることができます。
そのため、取り分けて興味があることのない人にはおすすめではないかと思います。
きっと私がヴァイオリンや人生においてプラスになることが服を通して知ることができたので、一度騙されたと思って実行してみるといいのではないかと思います。
ここまで、過去6か月に感じたことや考えたことを書いてきましたが、また何か気づきがあったらおって書いていきたいと思います。
少し長くなってしましましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
みなさんの人生にささやかながら変化をもたらすことができたら望外の喜びです。
それではみなさん Ciao Ciao.