これまでいくつか記事を書いてきたが、私は高校・大学時代の後悔ばかり繰り返しています。
この9年間に形成された「自分」がおそらく、いや好きではないです。
もちろん学校で過ごした時間のみが、今の私を形成しているわけではありません。
ただ、この期間、言われることに盲目的に従い、決められたことは絶対に犯してはいけないものとして尊重してきました。そうしていれば、優しい、いい子などと褒められます。
怒られることはあってはならないこと、よくないことは絶対にしてはいけないと固く誓っていました。ただ何かのはずみで「よからぬこと」を犯してしまった場合は、怒られることに対して過剰にびくびくしていました。
そして実際に怒られるとなんだか自分が全否定されたような気分になりました。自分は悪い子であると。
そうすると、言われたことを聴くこと、決められたことを守ることに、より一層の拍車がかかりました。
その結果、小学校から中学校で自分の頭で考えることが全くできなくなる基礎が形成されました。
そして高校ではまた異なった角度から、自分で考える力を失っていきました。
高校ではいい大学、つまり東大を筆頭に「偏差値の高い大学に入れた者が偉い」というただ唯一の基準でその人の価値が決まっていた(私にはそう見えました)
小学校や中学校では、決められたことを守り、上の(教員)教えに従わせられることで思考力が知らず知らずのうちに失われていましたが、高校は一つの絶対的な価値観を生徒に植え付けることで思考力を奪っていました。
学年集会では県内・県外の進学校と比較し偏差値がどれだけ低いだとか、昨年はどれだけ東大に入ったかなどの話ばかりでその価値観が徐々に刷り込まれていきました。
そのため、私はたいしてまじめな学生ではありませんでしたが、受験勉強だけはしなければいけないとそれだけは一応やっていました。部活にも所属してはいましたが、ほとんどやる気がありませんでした。ただ受験勉強だけは、高校をあげて良い大学に入ることを至上命題に掲げていたのでそれに何も考えず従っていました。
本当に何も考えていませんでした。与えられるもの、例えば学生時代は宿題だけしかしませんでした。
そして大学に入っても与えられた課題のみこなしました。高校までの学習方法から抜け出すことができていなかったからです。そしていざ卒業論文や就職先を考えるときに困りました。
今まで自分の頭で考えたことのない人間が、正解のないものに対して、考え自ら答えを生み出さなければならなかったからです。
当然就職活動も卒業論文もうまくは運びませんでした。
当時のことをこのように少し冷静に見ることができるようになったのはここ最近です。学校教育を離れて5年ほどになりますが、その結果当時の状況がいかに異常であったかわかってきました。
しかし、小学校から大学までで形成された自分は、私の人生の半分以上を占めていたため自分の行動様式や思考が当時形成されたものから全く脱却できていません。
本ブログを書くこと際、結構な頻度で学校教育を受けていた期間の後悔が冒頭述べたように繰り返し出て来るからです。
そして私がこの学校教育を通して形成された「自分」というものがたまらなく嫌いであることがわかりました。
今はその「自分」から変わろうともがいているような気がします。
私のなりたい「理想の人」とは他のことにはわき目もふらず一つのことに打ち込んでいる人でした。私は今まで、一つのことをやり抜き通すことがなかったからです。
何でもいいから没頭できるものが欲しいと思いました。そうすれば万事が解決すると。
先日までワールドカップが行われていましたが、そこで活躍する選手は、小さいころからサッカーに打ち込みヨーロッパで結果を残しています。そしておそらくサッカーにのみ集中しその他のことを犠牲にしてきました。
そのような選手はやはり輝いて見えます。私が欲しい要素、私がなりたい姿であり、私が持っていないものを持っています。
つまり何かしら打ち込めるもの、いわゆる「生きがい」が欲しかったです。
そうすれば、私はこの世に生まれてきた意味はこうであると自信をもって言えます。
私にとって、それがない人間はただ生きているだけになってしまい自分の人生はなんだったのかとこの先後悔しながら生きていくことになると思うからです(今でこそ生きがいなど幻想だし、見つかる人はごく少数であることも承知しています)
私はそうなりたくないと強く思っていました。
イタリア語、英語、仕事、ヴァイオリン。
何でもよかったです。
ただ上記に列挙したことは自分自身に何度も問いかけた時に本当にそれをやりたいのかが常に曖昧でした。そのためある一つのことに打ち込むと決めても大抵長続きしませんでした。
それは何かしら変な理由をつけ、本当はそう思っていないにも関わらず自分をだまし何とか納得させようとしていたからです。
毎回そうなってしまったのは、「生きがい」を早く見つけたいという焦りからだったと思います。加えて、心の声をよく聞き「本当にそうしたいのか」忍耐強く問いかけ続ける体力(考え続ける力?)がないからです。
考え続けることができないというのは学校時代のくせが抜けきっていない証拠だと思います。
あるいは心の声を聞くことを意図的に避けているのかもしれません。
もしそれに従い、やったところで成功の保証はないし、それを実現するための手段を調べている間からうまく行かないのではと怖くなるため、それらを事前に避けるている可能性もあります。
だから安易な解決策に逃げていました。自分自身が弱い人間であることをいやというほど知っているし、それから逃れようとして抵抗したとしても結局はその弱さを再認識して終わります。
とにかく今の自分から脱却したい。
いっそのこと海外に行こうかとも思いました。
10月から日本への海外旅行者数の制限が解消されたことで、私の働いているお店にも海外からの旅行客が大勢来ています。
コミュニケーションの手段は、大体が英語です。
英語を話していると少しの間であるがいつもの自分と違う自分になれる気がして、なんだか気持ちがいいです。
それは、よくある酒に酔った行きおいでと同じように、外国語で話しているといつもより大胆になれるからです。弱い自分から一時でも変わることができます。
もし外国に行き、常日頃からその国の言語で話していたらいつか弱い自分と決別できる日が来るかもしれない。また生活環境を変えることで、学生時代に形成されてしまった枠組みを一気に破壊する突貫工事になるかもしれない。
そのようなことが最近頭をよぎりました。
そして異国で生活するとともにこの私を形成した日本社会、教育について外国で勉強し、なぜ私のような人間ができてしまったかを探ると同時に、先ほど書いたようなその過去の自分を破壊する作業を同時に展開してはどうだろうかと思いました。
小さいころから海外への憧れはあったし、今も心の奥底でくすぶっていて、ふとした拍子にこみあげて来ます。仕事を見つけやすい国で需要のある職種で考えることもあり、その分野のものを少しかじってみたりもしました。しかし、それには興味が持てませんでした。どこの国に住みたいというものもありません。私はサッカー、西洋美術、クラシック音楽が好きなのでそれらの本場であることやヨーロッパは狭い範囲の中に様々な国が地理的に密集しているため、海外旅行が日頃から楽しめる環境など挙がってきましたがどこか腑に落ちませんでした。
海外への執着が強いのは、小さい頃から思い続けていたという理由もあるかもしれないが、この「弱い自分」を変えることができる可能性のある場所であると一種の希望を抱いているためなのかもしれません。
それに加え、今能力などのあらゆる条件を取り払った時に何をしたいかと聞かれたら、唯一思い当たることは「ヨーロッパで長期にわたって生活すること」です。
この私を形成してしまったものは何なのか、つまり日本社会について学びながら、同時にそこから自分自身を開放しようとする作業を異国ですることで、過去の清算をするというストーリー仕立てにするとすべてが収まるところに収まりもっともな流れになった気がします。
私の中の最大の敵を、全く異なる教育システムの国で学ぶことで私の教え込まれたシステムが間違っていたことの証明を一種の復讐という形で果たしたいのかもしれません。
この自分で考えることのできない頭にした日本という国を知り悪事を暴く。そしてそのプロセスを通じて過去の自分と訣別する。
今まででこの物語が一番腑に落ちた気がします。
ただ本当にそれが本心かもっと考える必要があります。
今度ばかりは、すぐに飛び込まず、じっくり耳を傾けることができればと思います。
この弱い自分を捨て去りたい。今までブログに書いてきたことの多くが、過去の後悔でした。それを書くことで何とか自分から吐き出たかった、つまりそうすることで過去を清算し新たな自分への脱皮を促していたのかもしれません。
少しすっきりしました。今日はこのくらいで失礼します。
Addio.