日本人だなと思う瞬間

イタリア南端の町で見つけた某日本メーカーの室外機
音楽

クラシック音楽、西洋美術、ヨーロッパサッカーなどとにかく小さいころから
「ヨーロッパ」「西洋」という言葉が付くものは何でも好きでした。

その魔法の言葉が付くと日本のものよりもすべて高等なものであるかのような印象を持っていました。
今では全くそんなことはないと頭ではわかっていますが、まだまだこういった枕詞が付くと反射的に思ってしまう節があります。

音楽も母親がピアノを弾いていたこともあり、ショパンやモーツァルトのピアノ曲を聞いていた影響でクラシック音楽をよく聞いていました。
今でもよく聞いていて時期ごとに変わりますが、今はメンデルスゾーンとドヴォルザークにはまっています。

いろいろクラシック音楽を聴いているとたまに懐かしい気持ちになる音楽があります。
それは小さいころよく聞いていたとか学校の音楽の授業で聞いたという思い出があってそうなるわけではありません。

クラシック音楽を聴いているとときたま、「日本ぽいな」を思う箇所がいくつかあります。
それは作曲者が日本の音楽を意識しているためなのか、あるいは自分が日本人の為作者が意図していたわけではないが日本人であるがゆえに
「日本ぽいな」と無意識に感じているだけなのかはわかりません。

しかし、こうした日本の古い音楽にありそうなメロディーを聞くと西洋音楽を聴いていながらも
自分の根っこはやっぱり「日本人なんだ」とふっと思います。

今思いついたのはドップラーの『ハンガリー田園幻想曲』の冒頭部分です。
『ハンガリー田園幻想曲』

なぜかわからないけれどちょっと滝廉太郎の『荒城の月』っぽさを感じちゃいます(笑)
『荒城の月』

死ぬまでこの感覚はつづくだろうし、将来ヨーロッパに行ったときにもこの感覚を忘れずにいたいと思います。
日本人だなと思うたびにもっと日本のことを学ばないとと思いますが結局クラシック音楽や西洋美術に戻ってしまいます。

困ったものですね(笑)