こんにちは。
管理者のMaruyama Da Gunma(マルヤマ・ダ・グンマ)です。
群馬県高崎市出身の27歳です。
プロフィールということで私の好みやこれまでの人生について書いていきたいと思います。
まずはその前に、Maruyama Da Gunmaの由来とこのブログを書くことにしたきっかけについて少し触れておきたいと思います。
Maruyama Da Gunma の由来ですがとても単純です。
私は大学時代に西洋美術史を学んでいました。その中でも特にイタリアの芸術に興味をもっていました。
その中で、決して多くはないですが、レオナルド・ダ・ヴィンチだとかアントネッロ・ダ・メッシーナとか「〇〇・ダ・〇〇」という名前に出会いました。
イタリア語を学ぶまでは、単純になんか響きがかっこいいなと思っていました。
ただイタリア語を勉強するうちにこのカタカナにあたる「ダ(Da」」はイタリア語で「どこどこ出身の」という意味が分かりました。
そのためレオナルド・ダ・ヴィンチは日本語に訳すると「ヴィンチ村から来たレオナルドさん」、アントネッロ・ダ・メッシーナは「メッシーナ(イタリアの都市の名称)からきたアントネッロさん」です。
日本語に訳してしまうと何ていうことありません。
ただ私の場合この自分にとって少々衝撃的であった事実が分かった後もこの「〇〇・ダ・〇〇」を使いたいという情熱が衰えることはありませんでした。
そのため、本ブログにおきまして満を持して Maruyama da Gunma を使うことができました。
もう説明する必要もないですが、Maruyamaは私の苗字、Gunmaは私の出身地であります。これを使い始めた時に友人から「語呂がいい」とお褒めの言葉をいただきました(一人だけですが…)
ただこの名前は自己満足のところも大いにあるので、今回この場で使う機会に恵まれただけでも勝手に舞い上がっています。
次にブログを始めたきっかけは何とも不純でした。
「ブログで稼ぎたい」これが大きなウエイトを占めていました。
私は2019年の11月に前職を辞め、今後どうしようかと考えた時に1年間お金をためてもう一度ヨーロッパに行こうと考えていました。
ただ通常の仕事で稼げる分ではとても足りなそうなため、単純ですが前から少し興味があったブログで稼ごうと考えました。
ただ自分の性格上、興味のないこと・ものの宣伝文句を考えてブログに掲載するなどはつまらないし、面倒だなと思ったので、日ごろ考えたことやそれまでの経験したことについて書くことにしました。
そちらの方がストレスなくできますし、これまでの人生を振り返ったり、考えたことのアウトプットの練習になると思いました。
今まで、大学時代も含めこうしてじっくりと文章を考え書き起こすということをしてこなかったため、自分の出来の悪さに辟易しました。
じっくり考えると頭が痛くなってくるし、文章をまとまりはないし、これまでの自分の人生の結果を突き付けられているようで、少々苦しい時もありました。
ただ書いている中で、あるいは書こうとしていることについての本を読んだり情報を集めたりする中で、今の時点で何も持っていない自分を認められるようになってきました。
できない自分を認める。
できそうでできないことです。
できない自分を認めると自分がこの世に存在している価値がないように思えてきます。しかし事実はそうではありません。私の場合、「だからがんばろうか」と思えるようになりました。
こう考えられるようになったことで、意味の分からない変な自信を過剰に持つことも少なくなってきたかなと思います。
日々小さいことを積み重ねて何もない自分に毎日少しずつプラスしていく。
気は遠くなりますが、人生これしかないんだなと天才的な効率手的な方法なんてないんだなと思いました。
また知り合いの方々がブログを読んでくださり、好意的な反応を示してもらえたこともうれしかったことも続けられるモチベーションになっています。
そうやって自分の文章を読んだことで、その人に何かしら考えるきっかけを与えたり、刺激を与えることができたのは私にとってこの上ない喜びでした。
私の出身地高崎市の偉人である内村鑑三が『後世への最大遺物』の中で、
「何も持ってないものは生きざまを残せ」
といったようなことを書いていましたが、私がブログを書くことは今現在その言葉とかぶるところがあります。
つまり、私が経験したり考えたりしたことをこうしてブログに書くことで、それを読んでくださる方々に何かしら人生が好転するような(そこまで行かなくとも何か小さな変化を起こす)助けになれればということです。
私はお金もっていて大きな企業を運営しているわけでもないですし、何か教えることもできません。
ただこうしてブログとして書くことで、この世の中のだれか一人の心に訴えかけることができたとすれば私のミッションは達成されたことになります。
そのため、曲解されることはナンセンスですが、各内容で私が中心として伝えたかったことと違ったことを感じたとしてもその方の考えるきっかけとなれば私はいいと思っています。
些細なことでも「これ面白い」「なるほどな」と思っていただければそれだけでうれしいです。
~Maruyama da Gunma 略年表~
第一章 群馬時代
・群馬県に生まれる
・幼稚園 私立に通い屋内プールなどリッチな施設の中で過ごす
・小・中学校 ゆとり世代真っただ中で家の近くの公立に通う(周辺にあまり学校がないため、小・中のメンバー変わらず)
この頃から世界遺産や世界の偉人についての本について読み始め、ヨーロッパへの憧れが芽生える
・高校 思い出は何もない田んぼ道を空っ風にふかれながら自転車をこいだこと
先生からは浪人を考えたうえで、今年は大学受験と言われていたが奇跡的に合格
第2章 仙台時代
・仙台の大学で6年過ごす。文学部で美学・西洋美術史を学ぶ
大学3年の夏休みに憧れであったヨーロッパ一人旅1か月(イタリア、オーストリア、ドイツ、チェコ)
第3章 ヴェネツィア時代
・イタリア美術の中のヴェネツィア派に興味があったため大学4年の時にイタリアのヴェネツィアへ約1年間の留学を決行
・帰国後将来について考えるために1年休学
・就職活動で独立行政法人を志望していたが、全敗し将来ミラノで働くことを目標としお酒の会社に入社
第4章 東京時代
・3年は続けようと決意し入社したが、いろいろ耐えきれなくなり1年6か月で退職
・その後1か月ニート生活ののち実家である群馬県に帰る
第5章 軽井沢時代 ← いまココ
・ヨーロッパにもう一度行くために軽井沢で資金集めのため働く日々
・空気のきれいさと山並みの美しさのなか日々のびのびと働く